Aa ↔ Aa
spice
「ほんっと、ごめん!」
背に負った少女の声は、いつもの調子と全く変わらなかった。
自力では歩けないほどに足を痛め、こうして自分に背負われているというこの状況にあって、悪びれた様子も沈んだ様子も微塵も見せないのは、さすが生来から明朗快活な彼女だといったところだろうか。とりあえず力いっぱい謝るだけの元気があったことにほっとしている、そんな自分もどうかと思うのだけれど。
「……ね、やっぱり重いよね?」
「そうでもない。……だが、こんなことはこれで最後にしてくれ」
「うん、以後気をつけます」
ちょっと身体を動かしてくる。
そう言ってナマエが砦を出て行ったのは、昼過ぎのことだっただろうか。
身体を動かしに行くと言ってもせいぜい砦の近辺だろうし、その剣の腕前は団員の誰もが知るところで、彼女が一人で出掛けることを案じる者はいなかった。急に思い立ってふらっと出ていくことなどは自由奔放な彼女の常であったし、多少帰りが遅くなるようなことも今までには何度もあったのだ。
ただ、今日に限っては、夕方を過ぎても彼女が戻って来ないことがどうにもおかしかったのだった。
なぜなら今夜の夕食は、彼女の好物である鶏の香草焼きにするとオスカーからの告知があった――というだけが理由ではないのだが、とにかく虫の知らせとでも言ったらいいのか、何となく嫌な予感がして近くの森へ探しに来てみれば、大木の足元で座り込む彼女の姿があったというわけである。
「……木の下で蹲ってるのを見つけた時は、本当に驚いたぞ」
「んー、わたしもまさか落ちるとは思わなかったんだよね」
彼女の弁によれば、その大木の枝いっぱいに実った果実を採って帰ろうと思ったのだという。「うちの財政も厳しいし、タダでとっとけるもんはとっとかないとね!」との考えを体現すべく、幹に登って果実を集めたはいいが、夢中になるうちについ足元の注意が疎かになったらしい。そのまま為す術もなく転落してしまった彼女は当然着地にも失敗し、その時に足を捻挫してしまったのだった。少し休めば痛みも和らいで歩けるようになるのでは、との期待も空しく足首は痛む一方で、どうしたものかと考えあぐねている時に運良く自分が彼女を発見したようだ。
それにしても――彼女のあっけらかんとしたところを知っていてもなお思うのだが、怪我を負った割にはあまりにもけろりとしすぎているのではないだろうか。
「でもさ、痛みに見合った分の収穫はあったと思わない? きっとオスカーさんが、これで美味しいパイとか焼いてくれるし」
自分に負ぶさる彼女の背には、戦利品がしっかりと括りつけられていた。
現状打開策を考える前に外套の中に果実を詰め込んで、持ち帰る準備だけは万端にしていただなんて呆れてしまう。
「……」
「あ、でも肉じゃないから、アイクにとってはありがたみが薄いかなあ」
「……あんた本当に反省してるのか?」
「してるよ、もちろん!」
「どうだかな」
つい言葉に溜め息が混じる。
この少女は他人にどれほど心配をかけたのかを分かっているのだろうか。
痛くなければ覚えない、そんな言葉もナマエには通用しないのだろう。きっと今のように、へらりと笑って流してしまうに違いないのだから。痛い思いをするのが自分だけで済むならば、いくらでも平気だと思っている節が彼女にはあるのだ。それが他人の気を揉ませることになるとは、まだ気付いてもらえないらしい。
……だからこそ、放っておけないのではあるけれども。こちらばかり心配させられるというのも面白くない。面白くない、という言葉では正確ではないのかもしれないが、それに近い心境であることは事実だった。
「それじゃあ……、オスカーさんを手伝うついでにちょっとだけ生地を拝借して、わたしがアイクのためにミートパイ焼いてあげるってことで!」
「……」
「どう? だめ?」
「……」
「……アイク?」
「……」
「やだ、ひょっとして怒ってる?」
え、だとか、どうしよう、だとか。
あたふたと慌てたような声に、青褪めた表情までもが目に浮かんでくるようだった。
自分としては、ナマエにもう少し自身のことを顧みてもらえればいい――ひいては、こうして彼女のことを心配する人間がいるということを少しでも分かってくれればいい――そんな思いでだんまりを決め込んでみたのだが。しかし彼女のあまりの慌てぶりがどうにも可笑しくて、終いにはとうとう吹き出してしまったのだった。
「!! からかってたの!? ひどいじゃない、人の気も知らないで……!」
「その言葉、そのままあんたに返していいか?」
そう告げた途端、彼女の言葉がぴたりと止んだ。
背で預かった身体がびくりと固まったのが分かる。あえて反応を返さずにいたことが、どうやら自分の想像した以上に効いてしまったらしい。暫し沈黙が流れ、草を踏む自身の足音だけが耳に届く。
やがて、ナマエが息を吸う気配がした。
「……心配、かけてごめん」
「……ああ」
表情を直接目にしていなくても分かった。
肩越しに小さく呟かれた言葉と声と、それだけで十分なくらい、彼女の心からの気持ちだということが伝わってくる。
色々と手を焼かせてくれることも多い彼女だけれど、根は誰より素直なのだ。
――これだから、何だかんだでいつだって絆されてしまうのかもしれない。けれども彼女に対してそう在る自分も、どうしたって嫌いにはなれないのだった。
「……けどね、わたし今、ちょっと役得かもって思ってる――そう言ったら怒る?」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味」
「……? さっぱり解らんな」
「ん、それならそれでいいんだ」
最後の言葉の意味だけは、結局分からずじまいに終わってしまう。
「ありがとね、アイク」
ただ、肩に額を押しつけられる感触に、どこかこそばゆい思いがした。