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ある愛の形
――そのひとは、わたしの全てだった。
「ナマエ。この世で最も強く、賢く、美しく、そして正しいのは誰だ?」
「はい、それはナーシェン閣下にございます」
「フン、分かっているじゃないか」
鼻を鳴らして満足そうに笑う姿を、いつまでも側で見ていられたらとそう思う。
どこまでも自信家で、誰よりも強い矜持を持って、けれども隙だらけで。
お世辞にも人望に厚いとは言えない彼だけれど、それでもわたしにとってはかけがえのない唯一無二の存在だった。
――女のくせに生意気なんだ。
――家柄だけで成り上がった分際で、調子に乗るな。
生家が先祖代々竜騎士として王国に仕えてきた家系だということ。それから、わたしが女だということ。
それが災いしたのかもしれない。叙勲を受けてから暫くして、徐々に功績を挙げられるようになってきた頃、わたしは周りから謂われのない中傷を受けるようになってきていた。士官学校の頃からの同期は気にするなと言ってくれたけれども、階級が上がるにつれてそれはますます増える一方だった。
もちろんベルン王国は血筋で兵を特別扱いだなんてしないはずだし、わたしの得たこの位置は今まで苦しみながら訓練を積んできた成果以外の何ものでもないと信じている。けれども、周りの人達にそうは受け取って貰えなかったらしい。酷い時には言葉だけでは終わらないことだってあったのだ。
数人の兵士たちに周りを囲まれたあの日。
またいつものように罵声を浴びせられるのだと思ったのは束の間で、何だか感じが違うと思ったその時には背後から殴打されていた。
訓練が終わった後で、鎧も武器も持ち合わせていなかったわたしには抗う術などない。多勢に無勢としか言い様のない状況で、くず折れながらただただ殴り蹴られる痛みに耐え続ける他なかったのだ。
どれくらいそのままでいたのかは分からない。
近付く限界に、もう意識さえ失ってしまいそうだと、そう思った瞬間だった。
「クックックッ……これは随分手酷くやられたものだ」
独特の笑い声とともに、遮られていた視界は突然鮮やかに開けた。
気付けばわたしを囲っていた男達は一人残らず床に伏している。そうして目の前には、かの有名な三竜将の一人が倒れた男を踏み潰しながら立っていた。
恐らくこのひとが、彼らを一瞬で伸してしまったのだということは分かったけれども。感覚は未だに曖昧で、わたしは座り込んだまま呆然とその姿を見つめることしか出来なかった。
「何、気にすることはない。自分よりも優れた者に嫉妬するのは、醜い者の性なのだからね」
言いながら、わたしの視線を何でもないようにあしらって床に降り立つ。
今しがた踏みつけていた男の身体を蹴り飛ばすと、彼はゆっくりとわたしの側に歩み寄った。
「ナマエだな? 貴様のことは聞いているよ」
―――女ながらに若くして竜騎士の称号を得たというのだから、どんなに厳ついのかと思ってみれば。
勿体ぶった仕草で片膝をつく。多分に含みのある口調とともに、まるで品定めでもするかのような目がわたしを見ていた。
「……ナーシェン……さま……?」
「そうだ、私はナーシェンだ。私は美しいものが大好きでね。そしてどうやら貴様は私の眼鏡に適ったようだよ」
ぼんやりとして上手く働かない頭は、彼の言葉を理解するには少しばかり足りなかったらしい。
長い指でわたしの顎を捉えた彼が、それを察してくれたのかどうかは分からないけれど。ひたすらに自信に満ちた双眸をわたしに向けるそのひとは、唇に弧を描きながらひどく楽しそうに言葉を続けたのだった。
「光栄だろう? 今から貴様は私の部下だ」
そうと決まれば、まずはその血化粧をどうにかせねばな。
彼の指はわたしの顎を掴んだままだった。声と同時に深く影が落ちる。頬に滲む血が、舌先で拭われた。
生温い温度を感じながら、わたしは告げられたばかりの言葉を何度も反芻していた。貴様は、私の部下だ。彼は確かにそう言った。疲弊しきった故の幻聴だとでもいうなら話は別だけれど、彼に触れられた頬の傷が次第に灼けるような熱を覚えたとき、これは現実なのだと何故だか強く確信できた。
このひとはわたしを側に置いてくれるのか。このひとは、わたしを必要としてくれるのか。
理由なんてどうだって良かった。その時差し伸べられた手に、わたしは確かに救われていたのだ。
***
「……ナマエ? 何だ? 急に笑ったりして」
「いえ、閣下に拾っていただいた時のことを思い出しておりました」
「ほう」
素直にそう答えれば、目の前のひとは面白そうに口角を持ち上げる。
「確かあの時は……こうだったかな?」
――ああ、その笑みは少しばかり危険かもしれない。
そう思う前に、わたしの身体はぐらりと前に傾いでいた。強引に襟元を開かれ、少し冷たい唇が首筋を這う。あの時は、こんな風に熱っぽくわたしを煽ったりなどしなかったと分かっているはずなのに。白々しく告がれる言葉すらも、今はひどく悩ましかった。
「っ、閣下……!」
「愉しませてくれるじゃないか」
そのまま首筋に走った痛みに、思わず小さく声を上げてしまう。
クックックッ、と喉の奥で笑う声が、耳のすぐ傍で聞こえた。もう既に、足には力が入らない。
「……これからもたっぷりと可愛がってあげるよ。貴様は私のものだからな」
所有を強調したりなんてしなくても、わたしはいつまでもあなただけのものなのに。
口にするのももどかしい言葉は、それでもどうか通じてくれればいい。背中に当たるベッドの感触に身を委ねながら、わたしは目を閉じてそう願った。
たとえ歪んでいたとしても、わたしの光はあなただけなのだから。