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手のひらで踊る

 分かりやすい、とは本当によく言われるのだ。
 良くも悪くも考えていることがことごとく表情に出ているらしく、そのせいか駆け引きの場に連れて行ってもらったことは一度もない。
 けれども、この間街まで買い物に行った時に、露天で売られていた髪留めに目を奪われていたことまで気取られていたとは思わなかった。
 そしてそれを手にしたオスカーさんが、今わたしの目の前にいる。
「欲しかったのはこれで間違いない?」
「え、あ、その」
 部屋を訪ねてきた彼を扉の所に立たせたままであるということも忘れて、わたしは情けなく口をぱくぱくとさせていた。
 目を奪われたとは言っても、時間にしてみればたったの数秒くらいのものだったはずだ。その時は「欲しい」どころか素敵だとか綺麗だなんてことさえ一言も口に出してなんかいなかったはずだし、そもそも執着心を抱いたと言うほどでもなくて、せいぜい「ああいいなあ」程度の感想を持ったのに過ぎなかったのに。
「でも、どうして……?」
「ナマエはいつも頑張ってくれてるから」
 あまり答えにはなっていなかったけれど、彼がわたしの好きな微笑みを惜しげもなく向けてくるものだから、わたしはそれ以上を追及することは出来なかった。
 頑張っている、だなんて自分で偉そうに言えるわけではない。それでも努力はしているつもりだった。
 わたしが目下やらなければいけないのは剣の腕を磨くことで、そうして今よりもっと傭兵団の役に立てるようになることで、だから外見を飾ることに感けている時間はないのだ。
 ただ、本当はそれなりに興味はあるし、憧れもある。
 それを、偶に、絶妙のタイミングで甘やかしてくれるこの人は、どれだけわたしを喜ばせるのが上手いんだろう。
 考えてみれば、わたしの何倍も何倍も働いているオスカーさんに労ってもらう理由なんて見つけられないし、むしろお世話になってばかりのわたしの方が彼に何かをしてあげるべきなのだけれど。
 何でもないようなことに気が付いて、さりげなく気にかけてくれる、そんなところ。
 そんなところが、わたしの心を惹きつけて止まないのだ。

「良かったら、私に結わせてもらえないかな?」
 だから、彼のその申し出は願ってもないことだった。
 そこでわたしはようやく思い出したようにオスカーさんを部屋に招き入れると、彼に言われるままに椅子へと腰を下ろしたのだった。
 剣が振りやすいからという理由で、いつもは適当に一つに括っているだけの髪。何の飾り気もない黒い紐を解かれて、それは重力に従ってぱさりと落ちた。こめかみからすっと差し入れられた指に、ゆっくりと梳き流されていくのが分かる。髪を触られるとどこか落ち着くのは、幼いころに母親がそうしてくれたからだろうか。
「だいぶ伸びたみたいだね」
「そう……かもしれないです」
 毎日見ているせいか、自分では実感が薄いのだけれど。
 確かに今はそれなりの長さがあった。ただ、伸ばしていると言うよりは切っていないだけだと言った方が近いような気がする。
「『ナマエの髪は綺麗でうらやましい』ってミストが言ってたけど、本当にそう思うよ」
 彼にそう褒められてしまうと、どうにも気恥ずかしい。
 それは素直に嬉しかったのだけれど、やっぱりどうしても照れくささの方が勝ってしまって。そんな事ないですよ、と、否定をしかけたときだった。
「っ、」
 わたしは言葉を飲み込んだ。飲み込まざるを得なかったのだ。
「あ、すまない」
 それは、ただ。
 オスカーさんのひんやりとした指がわたしの耳を掠めた、ただそれだけの事だったのだけれども。
 肩が跳ねた。冷たい指が触れたはずの箇所は途端に熱を帯びて、その発火点からざわりとした波が駆け抜けていく。その感覚に、背中が粟立った。
「痛かった?」
 思わずぶんぶんと首を横に振ると、苦笑が返ってくる。
「それならいいんだけど。……でも、あまり動かないでくれるとありがたいんだけどな」
「っあ、ごめんなさい……!」
 情けなく声が上擦った。動揺しすぎているとは、自分でも思うのだ。
 それがくすくすと笑われてしまうものだから、余計に恥ずかしさを増長させられる。顔に熱が集まっていることは嫌というほど自覚していた。彼に背を向ける形になっていることも、それを救ってはくれない。おそらく耳まで真っ赤になっているのだから意味がないのだ。
 抑えた笑い声が止んでからも、わたしは落ち着かないままだった。
 彼は平然と――彼の方には動揺する理由もないのだから当然のことなのだけれど――わたしの髪を結う作業を続けている。
 オスカーさんにそんなことをしてもらうだなんて本当に折角の機会なのだから、さっきまでのように至福に浸りたいのに。たったあれだけのことで、どうしてこんなに狼狽してしまうんだろう。
「うん、こんな感じでどうかな?」
 結局、平常心が戻ってくる前に仕上げられてしまったようだ。
 壁際の机の脇に置いてあった小さな鏡がオスカーさんの手からわたしの手に渡り、そうしていつもと少し違う自分の姿を映し出す。耳より上の位置にある髪だけが、編み込まれて一つにまとめられていて、残りはそのまま流してあった。
 こうして見ると、案外わたしも捨てたものじゃないかもしれない、なんて――……
「よく似合ってると思うよ」
「!!」
 気が緩んだ瞬間に、鏡の中で彼と目が合ってしまった。
「お気に召さない?」
 馬鹿みたいに首を振るのは本日二度目のこと。
 これではあまりにも進歩がなさすぎると、今度は笑われる前に何とか口を開いた。
「嬉しいです、ありがとうございます……!」
 もちろん本心であることに変わりなんかない。
 ただ、再び早鐘を打ち始めた心臓と、頬に上り来る熱はひたすらに加速するばかりだった。落ち着くことなんてどうしたって出来そうにない、だって、
「どういたしまして」
 満足気な笑顔に含まれた、何かがある。
 それが一体何なのかまでは分からなかったけれど、とにかくわたしはもうこれ以上を耐えることが出来なかったのだった。
「え、っと、せっかくだからみんなに見せてきますね!」
 言いながら、わたしは逃げるように部屋を飛び出した。
 後から――ちゃんと平常心を取り戻してから、髪留めのことも併せてお礼を言い直そう。だけど今は勘弁してほしい。
 くすりと笑う声が聞こえたのを無理やり気のせいにしながら、わたしは珍しく静かな砦の中を走った。
 ……そう、静かだったのだ。
 アイクやボーレ達はみんなわたしが知らない間に出掛けてしまったらしく、明日まで帰って来ないということになっていたのだから。結局この日砦に残っていたのは、オスカーさんとわたしを除けばティアマトさんとミストだけだった。
 出掛けている彼らのほとんどは、わたしの髪がどうなっていようが大して気にもしないだろうし、シノンさんに関しては色気づきやがってとか何とか言って馬鹿にしてきそうな気さえする。だから、彼らの不在それ自体は別に良かったのだ。本当に見せたかったというわけでもなく、単にあの場から逃げ出すための口実にしたというだけだったのだから。

 ――けれど、それが実はオスカーさんの謀り事だったということだとか。
 わざと人目のない状態を作ってからわたしの髪を飾ったこと、わざわざ彼がそんなことをした理由。髪留めに目を惹かれたことに気付かれた、わたしの分かりやすさ以上の要因。おかしいほどに動揺させられたあの些細な事故の真相も、それから笑顔の裏もその裏も、何もかもをわたしが知るのはまだまだ先のことだった。

リクエスト「オスカーに髪を結んでもらう」より
2009.06.03

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