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even if I get pain
「……失礼いたします、」
執務室の扉に控えめなノックをしながら、その向こうへと声を掛ける。
すぐに聞こえてきた返事に静かに扉を開けると、部屋の主は腕を組んだまま椅子に腰掛けて俯いていた。
ミルディン王子が亡くなられてから、きっと誰もがいつかこうなることを恐れていたのではないかと思う。一夜にしてエトルリア国内を混乱に陥れたクーデターに、さすがのパーシバル様もすっかり憔悴しきった様子だった。
王宮の中も外も、忙しなく行ったり来たりする兵士たちでひどく騒々しい。
「……急に呼びつけたりして、すまなかった」
「いえ、そのような……」
徐に椅子から立ち上がると、パーシバル様はわたしの前まで静かに歩み寄った。
その表情はいつにも増して硬く重苦しく、顔色も優れないようだった。……もっとも、こんな状況下にいい気分でいられる人間なんて、せいぜいロアーツとアルカルドくらいのものなのだろうけれど。
「……来て早々に悪いが、長話をしていられる状況でもあるまい。――単刀直入に言おう」
「はい」
「もう耳には入っているかもしれないが……先刻我々に、ロアーツ宰相ら新政権の直下で今後の任に当たるようにとの命が下された」
「……はい」
覚悟はしていた。いや、こうなることは分かっていたのだ。
残酷な現実。彼の声をもって直接告げられたその事実が、改めてわたしたちに重く圧し掛かる。
「これは国王の勅命だ。背けば即ち反逆罪に当たる。……悪くすれば死罪だ」
「……心得ております」
「私は騎士軍将として、この命を受諾した」
苦渋に満ちた表情で、それでも淡々と彼はそう言った。
当然の選択だった。わたしたちには、どうしたって抗うことなどできないのだから。
名ばかりの『勅命』に背いて反クーデター派につき、拘束された国王の御身を奪還する。恐らくそれが最良の結果を招くだろうことは、パーシバル様だって理解しているのだ。“騎士軍将”である彼が勅命を違えるということ、それが持つ影響力は計り知れない。ロアーツ宰相たちクーデター派の中心人物を、権力欲にまみれた俗物として良く思っていない多くの兵たちは、鼓舞されるようにして反クーデター側に翻るだろう。
……けれど、それは叶わない。この方にそんなことが出来るわけないのだ。
それはダグラス様のようにモルドレッド国王その人に忠誠を誓っているから、という訳ではない(彼の剣は今でもミルディン王子の為だけにあるのだから)。我が身可愛さゆえの選択だ、などと言おうものならそれは許しがたいほどに甚だしい侮辱だ。
――そんなことをすれば、彼は軍人としての自分を根底から覆してしまうことになる。
今までにも、彼にとって納得のいかない任務は何度もあっただろう。彼が感情を殺してそれに臨んでいたのをわたしは知っている。けれども、それが国の意ならばと。国の手となり足となるのが自分たち軍人だから。国家の犬だと詰られたとしても、それこそが軍人のあるべき姿なのだからと。任務を遂行するにあたって私情などは必要ない、あってはいけないのだ。そう教えられてきた。自分自身にも言い聞かせるようにして、彼はわたしにそう教えた。
だから、彼もわたしもそうして生きてきた。ずっとそうして剣を振るってきた。自分にとって正しいかどうかなどを問題にしてはいけない。国のために何をすべきか、それを考えるのは自分たちの役目ではない。与えられた命に、ただひたすら忠実であること。それが、わたしたちが剣を手にして生きる唯一の条件だった。
「……一つ確認しておきたい事がある」
数拍の後に告がれた言葉は、ほんの少しだけれど今までと声色が違うような気がした。
「今の勅命と併せて、我々に与えられた任務がある。――ミスル半島への進軍だ」
「……!」
「目的は、反クーデター派への牽制。掃討命令はまだ出ていない。……だが、遅かれ早かれ彼らとの戦いは避けられないだろう」
軍に入った頃から性別のことで苦労していたわたしを、同じ女として何かと気に掛けてくれていたセシリア将軍の顔が脳裏に浮かんだ。
彼女だけじゃない。
士官学校時代の友人、同じ戦場を共にした仲間たちの何人もが、反クーデター派に加勢していた。
「ナマエ。お前は彼らに剣を向けられるか」
深い琥珀の瞳に真っすぐと見据えられる。
苛酷な問いだと思った。エトルリアの為にエトルリアの人間を討つだなんて、こんな理不尽なことはない。そもそも初めからこちらに義などありはしないのだ。国の為というその名分ですら、こうなってしまった今では形だけのものに過ぎない。
――けれど、それでも。
わたしの心には、答えなんて一つしかなかった。
「出来ます。わたしの――わたしたちの従うべきエトルリアが、それを命じるのならば」
挑むように、その目を見つめ返す。
ほんの僅かに彼が動揺したのが分かった。
おそらくパーシバル様は、わたしが返答に窮するのを期待していたのだ。そしてその通りになれば、彼はわたしをミスルへの遠征へは連れて行かなかっただろう。あまりにも謹厳実直で、一人で全てを抱え込もうとする彼は、そうやって痛みすら一人で受けるつもりだったに違いない。
……そんなこと、絶対にさせるものか。
見返した視線を逸らさないまま、まるで宣戦布告でもするかのように、わたしは言葉を続けた。
「パーシバル様、わたしはあなたについていきます。何処までもお供をするのだと、そう誓ったんです」
たとえその先が、どんな道であったとしても。
迷ったりなどしない。彼が王子にそうするように、部下となったあの日からわたしの剣はただ一人彼の為に捧げてきたのだから。
「……ナマエ……」
暫くは、何かを言いたげにわたしの視線を受け止めていた彼だったけれども。
やがて小さな吐息とともに、その双眸は伏せられた。
憂いを湛えたその顔に笑みが戻ってくるのは一体いつになるのだろう。安らげる日が見えないのなら、せめていつだって側に在りたいとそう思う。
「……すまない。私にはこのような生き方しか……」
「どうか謝らないでください、」
同胞と剣を交える、その苦しみは違うはずもないのだから。
ならば、同じく背負うまでだった。
「わたしが決めたことです。わたしは将軍のお側にいたいのです」
彼が再び瞳を開く。
それを見届けたのを最後に、わたしの視界は黒く覆われてしまった。それが平生の彼からは想像も出来ないような行動だったから、抱きしめられたと気付いたのはその腕の力に少しの痛みを覚えた後だった。
――なんてあなたらしくないのでしょうか。頭ではそんなことを考えながらも、心のどこかで言い様のない歓喜にも悲愴にも似た気持ちを感じていたのもまた事実だ。許されるならば、もう少しこのままでいたかった。
そうして彼の腕に抱かれながら、わたしはこの時ほど不運な事故で亡くなられた王子をお恨み申し上げたことはなかったのだった。