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暁の星を見上げて
真っ黒な夜の帳が、うっすらと青みを帯びてきた。
太陽が顔を出すまでにはまだもう少し遠いくらいの、深い青色の光が世界を包むこの時間をわたしは気に入っていた。せっかくの雲ひとつない空、今日が新月なのは残念だけれど、そのかわりに星がよく見える。いつだったかノイスが教えてくれた星にまつわる神話をなんとなく思い出しながら、膝を抱えて空に瞬くそれをぼんやりと数えてみた。
夜の見張り番は、わたしにとっては少しも苦にならない。
……と言っても「異常事態さえ起こらなければ」という枕詞はつくけれども、幸運にも今のところはそういう目に遭ったことは一度もなかった。
「……あれ。どうしたの?」
異常事態ではないけれど、珍しい事態は起こったみたいだ。
振り向いた先には、背中に弓を携えたレオナルドが立っていた。
小さな足音と気配を感じた時から、殺気のないそれが仲間のものとは分かっていた。でも、今日は彼と見張りを交代するような手筈にはなっていなかったのに。
「何だか目が冴えちゃって……。少し邪魔してもいいかな?」
「あ、うん。そういうことなら」
レオナルドはわたしの隣に腰を下ろした。彼かわたしのどちらかが見張り番の割り当てを間違って覚えていたわけでもなければ、アジトの中で特に何かがあったというわけでもなさそうで、ひとまずは安心する。夜中に目が覚めて眠れなくなったりするような経験はわたしにはあまりないけれど、レオナルドの性格を考えれば彼がそれに悩まされていてもおかしくはなかった。今日が偶々だったならいいのだけれど。
ただ、理由はともかく、彼がここに現れたことはわたしにとっては嬉しい驚きだった。
同じ志を持つ仲間としてだけじゃない、それ以上の感情を、わたしは彼に対して抱いていたから。
「……ふぁぁ」
しばらく由無し事を話しているうちに、見張りと呼ぶには情けないくらい緊張が解けてしまったことは否定できない。
いくら隣に人がいることに安心感を覚えたからとはいえ、大欠伸をこぼしてしまうというこの有り様にはさすがに横から失笑が飛んでくるのを覚悟した。けれども傍らのレオナルドはわたしを笑うでもなく、むしろどこか神妙な顔つきをしてこう尋ねたのだった。
「大丈夫かい?」
「レオがいてくれると思ったら気が緩んじゃったのよ。さっきまでは、もうちょっと神経使ってたんだから」
なんて偉そうに言い訳をしてみるものの、実際のところはぼんやり星を数えていたくらいだったからそれほど大差はないのかもしれない。ただ、わたしの返答は彼の意図するところとは少し違ったみたいだった。
「そういう意味じゃなくて……」
「うん?」
「辛くない?」
それは見張りが、ということだろうか。
全然、と首を振ってはみたけれど、彼はもっと別のことを聞いているようにも思えた。
「……たとえばの話だけど、」
少し考え込むような素振りを見せてから、レオナルドは口を開いた。
「ナマエはミカヤに寝ずの番をさせようと思う?」
「まさか。だって、それはわたしたちがやればいいことでしょ?」
実際、わたしたちは基本的にミカヤには夜番を任せてはいない。せいぜい早朝の比較的明るい時間に、交代で見張りをしてもらうくらいだ。魔法の力に関しては底知れないものを持っているミカヤだけれど、お世辞にも体力がある方だとは言えない。それなのに誰かが怪我をすれば自分を犠牲にしてでも癒しの力を使おうとする、そんなミカヤのことを労わろうという気持ちはこの団の誰もが持っているものだと思う。
「ミカヤに前線で戦って欲しいとも思わないだろ?」
「当たり前よ。そんなの危ないもの」
「……僕にとっては、ナマエも同じなんだよ」
予想もしていなかった言葉にわたしは思わず目を瞠った。
確かに男の団員と比べればわたしはどうしたって力に劣るし、一応は剣を取って敵の中を突っ切っていくという役割ではあっても、やっぱり頼りないところはあるのかもしれない。
――だけど、多分そういうことじゃない。たとえわたしが団で一番の実力者だったとしても、レオナルドはきっと今と同じ台詞をわたしに言うのだ。
いつの間にか握りしめられていた手の、戸惑いを覚えてしまうほどの強さがそれを物語っていた。大切な人を失くす痛みをわたしは知らない、けれど戦争で家族を失った彼は違う。怖い、と口にはしない彼の恐怖が指先を伝って流れ込んでくる。
言葉を見つけることは出来ないまま、わたしはただ繋がれた手だけを握り返していた。
「……ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ」
「……いいの。心配してくれるのはすごく嬉しいし、レオの言いたいことも分からないわけじゃないから……」
もし、わたしが武器を捨てて、たとえば食事や洗濯や物資の管理にだけ従事して、戦いの時にはどこか安全な場所に身を隠すようにしていたら、彼の不安は和らぐのかもしれない。
そして、それがわたしには決して出来ないということを、彼自身もきっと分かっているんだろう。
本当は誰も危険な目になんか遭わせたくない、そんなのは当たり前で、大切な相手なら尚更のことだ。それでも黙って見ているだけでは状況は悪くなるばかりで、誰かが立ち上がらなければこの国はいつか食い潰されてしまうから。
戦いの中に深く身を投じれば投じるほど、失うことの恐怖からは逃れられなくなる。
わたしたちは、不器用なのかもしれない。
「……僕たちの力じゃ、どこまで出来るかは分からない。もしかしたら、途中で駄目になるかもしれない」
「……うん」
「でも、デインを取り戻すことなんか出来なくても、本当に大切なもの――本当に大切な人だけは、絶対に守りたいんだ」
「そう……だね。わたしもそう思うよ」
それ以上の言葉はなかった。
本当はもう少しだけ言うべきことがあったのかもしれないけれど、それはたぶんお互いになんとなく理解していて、だからきっと口には出さないままで良かったのだと。そんな気がした。
東の空がだんだんと白み始める。
こうして数え切れないほどの夜と朝とを繰り返して、いつしかわたしたちの行動は大きな波となってこの国を救うことに繋がるのか、それとも漣のまま消えてしまうのか、今のわたしたちにはまだ分からない。
それでも、たとえ行き着く先がどんなところだとしても、重ねた手を最後まで離さないでいられるように。何度目とも知れない夜明けを迎えながら、そのことだけを願っていた。