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建国祭

 アカネイア暦六〇九年。
 長い戦争は、英雄王マルス様を頂点に戴くアカネイア連合王国の成立とともに幕を閉じる。
 奇しくもこの年は、タリス王国の建国からちょうど三十年目と重なっていた。

 十年毎の節目ということで、この日から始まった今年のタリス建国祭は例年に比べてかなり大規模なものが催されている。
 この祭りのためにアリティアからいらっしゃったマルス様とシーダ様が参加されたパレードは大盛況の中行われ、お二人の凱旋した大通りは割れんばかりの拍手に包まれた。式典の中心である宮廷前広場には貴賎長幼を問わず多くの市民が集まり、朝から大きな賑わいを見せていた。
 夜になっても、その熱気は少しも冷める気配がない。
 ようやく戦争が終わったことへの解放感も相まってか、市民たちはみんなかつてないくらいに浮かれていた。誰もが待ち望んだこの平和は、これからマルス様の手によって守られていくだろう。もちろんわたし自身も大したことは出来ないにしろ、自分の生まれたこのタリスを守るためにやれるだけのことはするつもりだ。
「おうナマエ! どうだ、飲んでるか?」
「あ、サジ」
 しがない傭兵だったわたしは、戦争が終わって正規軍に迎えられることになった。といってもタリスは騎士団を持たないから、肩書きとしては「アカネイア連合王国軍のタリス駐屯部隊」といったところだろうか。昼間は警備兵としてパレードに随行し、この時間も本来なら宮廷の警護に当たっているはずだったのだけれど、今はこうして宴会に参加している。共に戦争を戦った仲間たちが大勢集まっているから、と、シーダ様たちのご厚意のおかげだった。
 だいぶ出来あがった様子で、機嫌も良さそうに声を掛けてきたかつての戦友はしかし、わたしが応じた途端に眉を吊り上げた。
「サジじゃねえ! マジだ!!」
 戦士としてその腕をふるっていたこの男とその相棒は、終戦後は木こりとしてのんびりやっているらしい。
 昔のように頻繁に顔を合わせることがなくなったからか、わたしはすっかり二人の間の区別がつかなくなっていた。でも、申し訳ないとは思うものの、こうなってしまうのはきっとわたしだけじゃないような気がする。
「おいおい、しっかりしてくれよ!? いつも言ってんだろうが、男前の方がこの俺様、マジだってよお」
「ごめんごめん、そうだったね」
 いずれにしてもわたしに非があることは間違いなかったので、とりあえずは素直に謝って宥めてみた。すると。
「なんだとぉ、そいつは聞き捨てならねぇな!!」
 現れたのは……ええと、今度こそサジの方だ。何だか思いっ切り不服そうな表情を浮かべている。
「あぁん? 何だサジ、何が聞き捨てならねえって?」
「何だじゃねえ! どっちが男前かってそりゃ、どう見ても俺の方だろうがよ!!」
「はっ、馬鹿抜かしやがる。ちったぁ鏡見てから物を言ったらどうなんだ、ああ?」
「ふざけやがって! てめえこそ、どの面下げてんなこと言ってやがんだ!?」
 ああ、やってしまった。
 瞬く間にやいのやいのと言い合いが始まる。元々二人とも喧嘩っ早い方ではあるけれど、お酒のせいか尚更簡単に火が点いてしまったみたいだ。どうしよう。
「てめえとは違う男前面だよ!」
「アホ面の間違いだろ!」
「ね、ちょ、二人ともやめ……」
「アホ面晒してんのはおめえの方だ! ったく、薪一つ切るのにもチンタラチンタラやりやがってよ!」
「早ぇだけで雑な仕事しか出来ねえくせに、偉そうなこと言ってんじゃねえ!!」
「いや、だからあの……」
 もはや論点が変わりつつある二人にはわたしの声なんて少しも届いてはいない。周りは周りでそれぞれの話に夢中になっていて、この二人の諍いには気付いてもいないか、あるいは気付いていてもいつものことだと思っているのかもしれない。それはまあその通りだけれど、一応はわたしに原因があるだけに、放っておくのもどうかと思えたのだ。
「何だあ? ……お前ら、飽きもしねえでまたやってんのか?」
 救世主が現れたのはそんな時だった。
「バーツさん……!」
 同じく英雄戦争を一緒に戦った仲間で、この二人の兄貴分でもある斧戦士。
 助けてください、と言わんばかりのわたしの目で状況は理解したようだったけれど、二人を一瞥すると彼はたちまち肩を竦めた。
「……駄目だ駄目だ。ああなったらもう何言っても無駄さ」
「でも……」
「気にすんな。好きなだけやらせておきゃあいいんだよ」
 白熱するばかりの二人を尻目に、バーツさんはわたしのグラスになみなみとお酒を注いだ。
「おら、飲め飲め」
 言われるままにグラスを口に運ぶものの、本当はあまり得意な方じゃない。
 なかなか減らないその中身を見て、バーツさんは小さく笑った。
「相変わらず細っせぇなあ。ちゃんと食ってんのか?」
「ご心配なく。だいたい、わたし軍人になったんですよ?」
「ああ、そうだったなあ」
 初めの頃は、頼りねえのもいるもんだと思ってたんだが、と。
 わたしたちが知り合ったのはグルニアの反乱に端を発する戦争が始まってからで、それ以前の――暗黒戦争時代の彼のことをわたしは直接知らない。
 オグマさんの傭兵隊の一員として暗黒戦争に参加して、それが終わった後はアカネイア軍にいたこともあったのだという。バーツさんが軍に、というのもあまり想像がつかないけれど、結局それも早いうちにやめてしまったらしい。除隊後は各地を転々として、一時は海賊だったこともあるのだと聞いていた。本人としてはもう二度と戦争に関わる気はないつもりだったらしいけれど、恩人であるオグマさんに乞われて今回の戦いにも参加することを決めたとのことだった。
「しかし平和になったもんだ」
 初めは血気盛んなタイプかと思っていた。
 確かにそういう面はなくもないけれど、それよりも面倒見のいい兄貴肌という印象を抱かせるような人だった。そんな彼をわたしは頼りにしていて、そして出来ればこれからも――たとえ一緒に戦うことはなくても、今までのように交友を続けていけたら、と思っていたのだ。
 けれども。
「バーツさん」
「何だ?」
「……旅に出るって、本当なんですか?」
 噂に聞いたことを尋ねてみる。彼はどこかばつが悪そうにしながら頭を掻いた。
「あー……、まあな」
 やっぱり本当のことだったのだ。
 噂を耳にしたとき、まさかという思いの反面、妙に納得してしまう自分も確かにいた。
「……オグマさんが行ってしまったから?」
 シーダ様きっての願いで、戦後すぐに行われた彼女とマルス様との婚礼の儀には姿を見せていたけれど、その後何も告げずにオグマさんは風のように去ってしまった。理由は想像が出来ないわけじゃない、でもそれを口にするのは無粋な気がする。
 バーツさんは彼を尊敬していたし、彼の頼みでなければこの戦争にも参加していなかったと言っていた。だからもしかしたら、と思ったけれど、バーツさんは首を横に振るのだった。
「そういうわけじゃねえけどよ」
 何か考えがあるのかもしれないし、なんとなくなのかもしれない。
 どちらにしても、彼の中ではもう国を発つことは決まっているようだった。
「……行かないで、って言ったらどうしますか?」
「ナマエ、お前……」
「……」
 確かな関係なんて元から存在しない。
 単にわたしが一方通行の淡い気持ちを抱いているに過ぎない、それなのに、ぽんと頭に乗せられた手の温もりに無駄な期待をしたくなってしまう。
「……そんな顔するんじゃねえよ。祭りが終わって一息つくまでは、もうしばらくこの国にいるさ」
 寂しいと思うのも、やっぱり勝手なことなんだろう。
 どうにも居た堪れなくなってしまって視線を逸らした先、二人の木こりの諍いはおかしな方向に進展したようだった。
「チッ、埒が明かねえ。こうなったら、どっちが正しいか飲み比べで白黒つけようぜ!」
「おうよ、望むところだ!!」
 みるみるうちに観衆が集まって二人を囲み、どちらが勝つかで賭けまでが始まった。
 この国はこんなに平和になったのに、どうして彼は行ってしまうんだろう。旅立つその先に何を求めているんだろう。答えの得られそうにない問いを、わたしはなんとか飲み込んだ。
 共に歩くことが叶わないのなら、わたしの為すべきは彼の帰る場所を守ること。わたしに出来るのは、きっとそれくらいだから。
「……ねえバーツさん。わたし頑張りますから。マルス様がいる限り大丈夫だと思うけど……でも、わたしもちゃんとこの国を守りますから」
 毎年こうやってお祭りを開けるように。そして、バーツさんがいつでも帰って来られるように。
「お前がかあ?」
 意地の悪いことを言いながらも、その目は優しいのだ。
「でけぇこと言いやがって。……けどまあ、頼んだぜ」
 ――真面目にやってっか、時々見に帰ってきてやらあ。
 その機会が出来るだけ早く、そして出来るだけ短い間隔でやってきてくれることを、ただただ祈るばかりだった。

「ほら、せっかくの祭りなんだ、いつまでも辛気くせぇ面してんじゃねえぞ」
 辛気くさい面を下げたわたしの頭上では、景気良く花火が上がり始める。
 半分も減っていなかったグラスが、再び深い赤紫の液体でいっぱいになった。"こうなりゃヤケだ"――サジかマジか、どちらのものかは分からない声が耳に届いた。
「……じゃあ、バーツさんの前途を祝して、ってことで!」
 両目を固く閉じて、杯を一気に傾ける。
 葡萄酒の苦さと熱さとは、喉元を過ぎてもなかなか融けていってはくれなかった。