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Auf die Wange Wohlgefallen,

 オーブンから小麦粉の香ばしい香りが広がっていく。
 昼間のうちから準備を始めたパンプキンパイは、夕食の時までには無事に焼き上がるだろう。
 パンもサラダも用意はできているから、あとは時間に合わせて鶏肉と香草とをソテーして。カボチャのスープもその時に温め直せばいい。
 いつも、一介の使用人に対するそれとは思えないほどの態度でわたしに良くしてくださるパント様とルイーズ様。
 そんなお二人のために、今日はわたしに出来るささやかなおもてなしを計画したのだ。ちょうど今は故郷の田舎で行われているお祭りの時期だったから、せっかくだからと昔の記憶を思い起こしながら、その形に準えてみることにしたのだった。

 料理の方が一段落ついて、わたしは中断していたランタン作りを再開し始める。
 ランタンと言っても、中をくり抜いて表面に顔の形の穴を開けたカボチャに蝋燭を入れるだけのものだ。もちろん中身は全て料理に使用済み。
 本来は魔除けのためのものであるそれは、怖い顔になるようにして目や口の穴を開けるのが通例なのだけれど、なんとなく主人夫妻を思い浮かべながら作ったせいか、完成した二つともが穏やかな顔になってしまっていた。
 あとは今作っている最後のひとつ――もう出来上がっている二つに比べると、二回りほど小さいカボチャだ――に口の穴を開けてやれば、ランタン作りも終わろうというその時だった。
「なんだかとってもいい香りがするわね、ナマエ」
 二階にいらっしゃったお二人が、仲良く階下に降りてこられたのだ。
 どうやら焼き上がりつつあるパイの香りは上にまで広がっていたらしい。
「何を焼いているのかしら?」
「出来上がってからのお楽しみですよ、ルイーズ様。本日は色々とご用意させていただきましたので」
 それは楽しみだ、と笑うパント様の隣、細君は今度はテーブルの上に飾られたランタンに興味を示されたようだった。
「まあ、素敵なカボチャのお人形ね!」
 お人形、と表現されるところがなんともルイーズ様らしい。
 そんな彼女をパント様も微笑ましげな様子で見つめている。こうして仲睦まじいお二人を見ているだけで、わたしはとても幸せな気持ちになれるのだ。常々実感することではあるけれど、この家にお仕えできて本当に良かったと思う。
「ルイーズ、それは人形ではなく魔除けのランタンだよ。地方で行われている風習の一つだ」
「そうでしたのね。ふふ、かわいい魔除けですわ」
「アクレイアのような所では、あまり一般的ではないみたいだけれどね。ナマエ、君の故郷ではこれを?」
「はい、毎年この時期に。古来からの伝統なんだそうです」
 さすがはエトルリアの元魔道軍将、我が主人は博識だなんて思いつつ、最後の仕上げにランタンの口の形を整える。これで全てが完成だった。
 並べた大きな二つの間に、小さめのそれを置く。
 我ながらなかなか良く出来たものだと、心の中だけでこっそりと自分を称えてみた。
「あら? この子は小さいのね?」
 出来たばかりのひとつに触れながら、ルイーズ様がそう問う。
 こうして直接聞かれてみると、自分の意図したことがなんだか妙に気恥ずかしくなってしまったのだけれど。喜んでくださるかもしれないと思って、わたしはその意味を答えることにした。
「はい、……実は、ご家族をイメージして作ってみたんです」
 お二人と、もうすぐお生まれになる赤ちゃんを。
 前祝いにしては物足りなさすぎるかもしれないけれど、本当におめでたく思う気持ちに変わりはなかった。
 けれども、わたしの答えを聞いたルイーズ様は一度は顔色をいっそう明るくしたものの、ふと思いついたようにパント様と顔を見合わせてしまったのだ。何かを訝っているような感じではなく、単純にきょとんとしたような調子だった。わたしは何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「あ、あの……?」
「それならもう一つカボチャさんが足りないわ。ねえパント様?」
「そうだね、ナマエは大切なものを忘れているようだ」
 お二人の考えているところがますます分からなくて、答えの導き出せない思考がぐるぐると回っていく。
 そうして為す術もなく慌てるばかりのわたしに、パント様はにっこりと微笑んだのだった。
「ナマエ。君がいないじゃないか」
 わたしはもう言葉も出なかった。
「そうよナマエ。あなたも私たちの大切な家族ですもの。ね?」
 いつもそうだ。いつだって、この方たちはそうなのだ。
 わたしのような者がこんなにして頂いていいのかと、怖くなるくらいに優しすぎて。
 今日だって恩返しをするつもりだったのに、こうしてお二人にどれほど自分が救われているのかを思い知らされてしまう。
「パント様……ルイーズ様……」
 ――ああもう、なんて幸せなんだろう。
 これからも一生を二人のために働き尽くすことを、わたしはこの時改めて誓った。
「君には本当に感謝している。これからも宜しく頼むよ」
「はい、もちろんです……!」
 思わず涙を零してしまったわたしを、ルイーズ様が優しく抱きしめてくださる。
 ふわりと甘い花のような香りに包まれたその後は、まるで子供にするように温かなキスがわたしの頬へと落とされたのだった。