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In die hohle Hand Verlangen,

「……終わりましたよ」
 感情を押し殺したはずの声は、思いのほか苛立ちの色を滲ませてしまっていた。
 それは単に不甲斐ない自身への怒りの表れであって、決して目の前の相手に向けたものではない。けれども、先程の戦いで彼女が受けた傷――自身の危険を顧みず、負傷した味方を治療しようと前線にまで出てきたために負ったものだ――を手当てしているというこの状況においては、恐らく自分の声色は彼女を責めることになってしまっただろう。案の定彼女は僅かにだが肩を震わせた。
 こんなつもりではなかったのに。自分の愚かさに、男は溜息を吐きたくなった。
「……ごめんなさい。わたしが無茶をしたばっかりに、ゼト様の手を煩わせることになってしまって……」
 小さく呟いて、彼女は長い睫を伏せる。
 心底申し訳なさそうに謝られるのにはどうにも慣れない。自分の主君も同じようにするからだろうか。
「……それは構いません。ですが、これからはあのような危険な行動は控えて頂きたい。もし貴女に何かがあれば……」
 何かがあれば。
 その先は考えたくもなかった。
 もちろん、戦いの中で仲間と永久に別離するようなことはこれまでに幾度となくあった。そうして見送った仲間の内には、当然彼女のように杖を使う者たちだって何人もいたのだ。
 それでも。
 彼女を失うことを考えると、どうしようもない程に戦慄した。

 主君を守り抜き、祖国の復興を果たすこと。それが自分にとっての至上の命だ。そのために自分はここにいる。
 ――だからこそ。
 彼女に、ナマエに対してそうすることは出来ない。
 ルネスの騎士である自分が、自国の人間でもない一介の司祭を庇って死ぬようなことなどあってはならないのだ。
「……他の癒し手の方々に、負担がかかってしまいますもんね。本当に、ごめんなさい」
 苦しかった。
 そうではない。そうではないのだ。彼女という存在を失うことが、ただ只管に恐ろしい。
「……」
「……ゼト様……?」
 手当てを施した腕を、未だ離せずにいた。
 傷はそこまで深いというわけではない。けれども白い細腕に刻まれたその痕は、彼女にはひどく似つかわしくないものであるように感じた。
「……傷は痛みませんか」
「はい、ゼト様が手当てをしてくださったおかげで。……この杖で、自分の傷も治せたら良かったんですけど」
 ナマエは無理に笑ってみせる。
 仮にそれが可能だとしても、彼女がその力を自身のために使うことは恐らく無いのだろう。
「ナマエ殿」
 杖だけを使っている間はまだ良かった。
 指輪の力を手に入れ、魔法を操るようになってから、彼女は笑うことが少なくなった。
「……貴女が、」
 大切なものを守るためには、何かを傷つけなければいけないこともある。
 敬虔に聖教を信じている彼女は、そのようなことなど知らなくて良かったはずなのに。
「貴女が傷つかずに済むのなら、どれだけ良かっただろう」
「そんなこと……」
 普段身に着けている手袋――それも聖職衣の一部に過ぎないもので、防御力など紙にも等しいのだが――を治療のために外した今、荒れて擦り切れた手のひらが露わになっていた。祈るように強く杖を握りしめるあまりそうなってしまったのだろう。やはり彼女には似つかわしくなかった。
「……こんな風にならなくとも良かった筈だ」
 止血がうまくいかなかったのだろうか。
 巻いたばかりの真っ白な包帯には、じわりと血が滲んでいた。
「だけどそれは、エイリーク様だってそうではありませんか。あの方はわたしなんかよりもずっと傷ついて……」
「今は貴女の話をしているのです」
「……ゼト様……」
 困ったような瞳に見上げられる。
 所詮ナマエを守ることの出来ない自分には、こんな顔しかさせられないのかもしれなかった。
 ――それでも。
「……お許し下さい、ナマエ殿」
 痛々しい手のひらを労るように、何度も唇を落とす。
 手の甲への口づけなど出来はしないから。彼女に対して、誓いを立てることなど出来ないから。
 だから、どうか傷つかないでと。ただそれだけを願っていた。