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Ubrall sonst die Raserei.

 ぼろぼろになり果てた痩躯が目の前に転がっている。
 これから自分がしようとしているのは、それを更に傷つけるような行為だった。
 ――どうかしている。
 そう思えるだけの理性は、まだ僅かに残っているらしかった。それでも、自身の内に渦巻くどす黒い感情を扱い切ることは出来なかったのだけれど。

 目の前で、自分の目標でもあった背中を失ったあの時。
 どうしようもない無力さに打ちひしがれ、心を抉られるような痛みに苛まれ、それでも、もう二度とこんな思いはしないと誓ったはずだった。失ってはならないものを守れる強さが欲しくて、今まで戦ってきたはずだった。
 けれど、ならば、
「…………っ」
 この様は何なのだ。
 一体どうして、こんなことになってしまったというのだろうか。
 下劣な男達の欲望に塗れて滅茶苦茶にされた身体は、今は清められている。
 だが、どれほど湯を浴びても彼女の身に起こった事実が変わるわけではないのだ。傷と痣と、目を背けたくなるような痕跡が、彼女の肌から消えるわけではない。
 たとえ、いくら彼女がひたすらに自分だけを思っていてくれたとしても。
「……ナマエ……」
 さんざんに蹂躙された労わるべき身体を寝台へと突き飛ばしたのは自分だ。
 彼女は苦しげな表情をしてこちらを見上げている。
 ひどい有様だった。
 そして、自分はもっとひどい顔をしているのだろうと、思う。

 汚れてしまった自分を嫌になったか、とナマエは言った。
 それは笑い飛ばしてしまいたいほどの愚問だと思ったのに、口からは乾いた空気が零れるだけだった。嫌になるはずなどない。彼女への気持ちは変わらない。ただ。
「……俺は、」
 ――許せそうにない。
 彼女を傷つけた下衆な男共も、傷ついた彼女も、守れなかった自分も傷を広げようとしている自分も。
 シーツの上に投げ出された、白い手を拾い上げる。
 手首には拘束された痕がくっきりと残っていたが、その先はほとんど損なわれてはいなかった。
 綺麗なままの指先を口に含み、舌を這わせば、ナマエは小さく身体を震わせた。それが恐怖のせいなのかそうでないのかは分からない。どちらにしろ、彼女の反応によって燻ぶっていた火種が大きくなったのは確かなことだった。
 自身の内に戦いへの衝動があることは知っていたけれど、今自分を支配しているものはそれとは違う。
 虚脱。後悔。絶望。悲愴。憤怒。欲望。
 その全てであって、どれでもないもの。ひたすらに負に傾いた、禍々しいまでの情動。
 気付けば、細い指に歯を立てていた。
 ぎりぎりと噛み潰す力は無意識に強さを増し、ぷつりと弾けるような反動の後で、口内に鉄の味が広がっていった。ナマエの身体が再び打ち震える。掴んだ手はそのままに、唇を離して解放すれば、色の無かった指先が赤く滲んでいた。
 あれだけ恐怖と痛みを刻みつけられた身体に、新たな傷を残してどうしようというのか。
 誰より苦しんでいるのは他でもない彼女だと分かっているのに、
 ――壊してしまいたい。
 自分の見えない場所で、手の届かない場所で、傷を作られてしまうのなら。
 壊してしまいたい。許されなくてもいい、から。

「……ごめんね」
 不意に告げられた静かな声に息を呑んだ。
 それが何に対する謝罪であるのかも自分には分からないのに、まるで彼女はこちらの心の内を全て見透かしているかのような。
「でもね、アイク。わたしは」
 恐れはなかった。迷いもなかった。
 彼女の声にも眼差しにも。
 傷ついたはずの瞳が、ひたすら真っ直ぐに自分を射抜いている。
「あなたがいてくれると思えば、どんなことにだって耐えられるよ」
 言葉が、あるはずのない傷を抉った。
 血の止まらない手指がそっと頬に伸ばされる。無理矢理取った手に噛みついたときには気が付かなかった熱が、堰を切らせた。
 前を肌蹴させ、痛々しい傷の上を、痣の上を唇で触れる。それはどうしたって優しいと呼べるようなものではなかった。痕跡をひとつひとつ辿る度に、混濁した感情が弾けていく。
 本当は優しくしてやりたかった。
 出来ることなら、傷も痛みも全て代わってやりたかった。
 けれども、手に負えない情動の背を押したのは他ならぬナマエだったのだ。