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声にも出来ない

 純白のドレスを纏ったアストラシアの若き女王は本当に美しかった。
 国の未来を担うクロデキルド様と、その伴侶となって彼女を支える旦那様。幸せそうに微笑みながら寄り添う二人はひどく似合いで、きっとここにいる誰もが彼女たちのことを心から祝福していたのだと思う。
 こんな日に複雑な心境を抱えているのなんて、わたしだけでよかった。
 恐らく"彼"を苛んでいるであろう痛みも、全てわたしが代わってしまえたのならよかったのに。
 わたしの一番大切な人は、これで恋に破れたことになるのだろう。
 結局彼は最後まで、想い人に自身の気持ちを打ち明けることは出来なかったのだ。あの人のことだから、クロデキルド様の幸せを誰より願いながらも、人知れぬところで一人傷ついているのだろうと思う。
 出来ることなら、慰めてあげたかった。
 けれども、彼に心から同情することの出来ないわたしにはどうしたって無理な話だったのだ。
 アスアド様を選ぶことのなかったクロデキルド様に対して、どうこう思っているわけではない。彼女に幸せになって欲しいと思う心に変わりはない。
 クロデキルド様が素敵な人と結ばれたことも、アストラシアがまた明るい一歩を踏み出したことも、わたしは本当に嬉しかった。
 ――嬉しかったけれど、それだけじゃなかった。
 クロデキルド様の結婚が決まったと聞いたとき、全身を駆け巡ったのは浅ましい感情。
 これでもう、アスアド様が彼女と結ばれることはない。アスアド様に、彼女を手に入れることは出来ない、と。いつだって応援しているような顔をしていながら、どこかでずっと駄目になってしまえばいいと思っていた。それが現実になった瞬間、一瞬でもわたしは疚しい歓喜に支配されてしまったのだ。
 こんな後ろ暗い気持ちを抱えたまま、宴の場で笑っていることなんて出来なかった。
 きっとわたしの目は、勝手にアスアド様を探してしまう。けれどあの人の悲しげな表情などを見てしまったら、もうどうしていいか分からなくなるから。
「何だ、こんな所にいたのか」
 そう、思っていたのに。
「アスアド様……」
 誰にも気付かれないように会場を抜け出して、警護兵を適当にごまかして城壁までやって来たわたしの苦労は何だったのだろう。
 アスアド様の顔を見られなくて逃げてきたというのに、二人きりにならなければいけないなんて。
「急に姿が見えなくなって驚いたぞ。具合でも悪いのか?」
「ちょっと風に当たりたくなっただけですよ。……アスアド様の方こそ、こんな所にいていいんですか?」
「俺が少し抜けたところで、きっと誰も気付かないだろう」
 ああ、この人は、自分がどれほど他人の目を惹くのかを分かっていないのだ。
 それに、人知れずいなくなったわたしに、あなたはこうして気付いてくれたというのに。
「……綺麗でしたね」
 当たり障りのない言葉を探したつもりだった。
 けれども口をついて出たそれにはわたしの汚い本音が映ってしまっていて、声音の卑屈さといったら自分でも笑ってしまいたくなるほどだった。
 彼を傷付けたくなんかないはずなのに、こんな言葉を投げてどうしようというのだろう。
「そうだな」
「悲しくないんですか?」
 つい、声を上げてしまった。
 言ってすぐに後悔した酷い言葉を省みたのも束の間、返ってきたアスアド様の声が、あまりにも穏やかすぎたからだ。天気がいいですね、だなんて言ったわけでもないのに、彼が見せたのはそんなくだらない定型句に返すような反応だった。
 わたしの不躾な問いかけに、アスアド様は苦笑を浮かべていた。
 どこからどう見ても自然と言う他ないそれに、逆に違和感を感じてしまうのはわたしがおかしいからだろうか。
 アスアド様は感情が表に出やすいタイプだし、部下として付き合いのそこそこ長いわたしには、表情から大凡の感情は分かるつもりだった。でも、今の彼は、無理して笑っているような顔ではない。
「どうして悲しむ必要があるんだ?」
 どうして。
 それは、アスアド様がクロデキルド様のことを慕っているから――――

「ナマエ」
 彼は首を振った。
 まるで、わたしの考えていることが聞こえているかのように。
「俺に必要なのは、お前なんだ」
 両肩に手を置かれた。
 翡翠の瞳が真っ直ぐにわたしを見ている、その奥に痛いほど真剣な光を見た。
 彼は冗談でこんなことを言える人ではない、そんなことは分かっている、分かり過ぎている。けれども。
「うそ……」
「嘘がいいのか?」
「だって、アスアド様、は、」
 その続きが言葉になる前に、わたしの身体はぐらりと傾いだ。掴まれた肩を引かれ、そのまま抱き込まれて、身体の自由も視界もまとめて奪われる。
 何が起こっているのかさえ信じられない、そんな状況で、拘束された身体はただひたすらに強張った。
「……いつからだったろうな。お前がいなければ駄目なんだと、気がついたのは」
 聞こえる声が、ひどく近い。
 低く、ゆっくりと語られる言葉に、どうしようもなく背が震えた。
「振り返ればいつもそこに居てくれた。一生懸命、俺のことを支えようとしてくれた。そんな姿に救われていたんだ」
「……アスアド様……」
「そのくせ、変に脆いから放っておけない。――ほら、」
 そっと身を起こされて、至近距離で視線が重なった。
 困ったように笑む彼の指先が、眦を滑る。離された指、その上で水の粒が光っていた。
「ナマエ。俺はお前を守りたい」
 好きで好きで仕方がなくて、本当はずっと欲しかった。
 クロデキルド様と結ばれる機会を彼が永遠に失った時、わたしも同じなのだと思っていた。
 だけど、こんな、こんなことって。
「わたし、も、アスアド様と、一緒にいたい」
 拙い言葉しか紡げないわたしが最後に見たのは、まるで子供のような笑みだった。