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La vacance!

 クロデキルドを女王に戴いた新生アストラシアの誕生から数年が経った。
 協会の占領下となる以前と比較してもより活気を増した王国は、確実に繁栄の道を歩んでいる。
 一なる王との戦いの後、上司に随行してこの国に身を置くようになった自分にとって、アストラシアは第二の故郷となっていた。新たに組織された王室魔道兵団が軌道に乗った今では、自分に与えられた仕事も帝国時代と大きく変わってはいない。
 武道を中心とするこの国で魔道兵団を率いることは容易ではなく、アスアドを筆頭とする元帝国魔道兵――もちろん自分もそこに含まれる――は道なき道を歩むことを強いられてきたものだったが、その努力はようやく実を結びつつあった。ここまで来られたのには、彼や女王の尽力によるところが本当に大きいと思う。

 そうして、慌ただしさが大分落ち着いてきた頃のある日。
 元上司、今は上司兼恋人となった男と一緒に、ナマエは王の間まで呼び出されたのだった。
 彼だけならまだしも、いくら一小隊を預かる身になったとはいえ自分までが呼ばれる理由は一体何なのだろう。しかし彼の方も、心当たりは何もないらしい。どこか引っかかるものを感じながらも向かった先で、女王は何やら楽しそうな表情をしていた。まさかそこで、「休暇をやるから二人で旅行にでも行って来い」などと聞かされるとは思ってもみなかったのだが。
 男と顔を見合わせて、互いに目を白黒させたのは一瞬のことだった。
 当然、クロデキルド達を差し置いてそんなことが出来るはずもない。アスアドと自分とは揃ってそれを辞退しようとしたのだが、女王の方も頑として折れようとはしなかった。最終的には満面の笑みでもって「女王命令だ」などと告げられてしまい、結局自分たちはその厚意に甘えることとなったのである。
 実際の所、休暇らしい休暇は久しく貰っていなかったように思われた。
 馬車馬のように働いていた、と言えば聞こえが悪いが、似たようなものではあった。苦ではなかったが、休みが欲しいと思わなかった訳ではない。そしてそれは、彼の方も同じだったようで。
 いざ何処で過ごすかを決める段になると、自分たちの意見は見事に一致したのだった。
 行先はもちろん、レーツェルハフト城だ。


 ***


「そんな面白いこと、どうして早く言ってくれなかったのー!?」
 久しぶりに会ったランブル族の友人は、以前と少しも変わりなかった。
 モアナは今もフィルヴェーク団で縁結びを続けている。男女の縁を結んだという話は、残念ながら未だ聞くことが出来てはいないのだけれど。
「でも、アスアドさんとナマエがくっつくなんてねえ」
 感慨深げに呟く。
 彼女の言う「面白いこと」とはこのことだ。
 確かに自分の方も、彼とこうなるとは思っていなかった。帝国時代から淡い恋心は抱いていたものの、彼はこの城にいた誰もが知るようにクロデキルドに心酔しきっているような調子だった。そんなだから、自分も半ば微笑ましい気持ちでそれを見守っていたはずだったのだが。
 本当に、未来なんてどうなるかは分からない、だ。
「あの頃はさ、もう口を開けばクロデキルド様クロデキルド様って」
「そ、そんなことはありませんよ!」
「うっそだー。一なる王を倒した後だって、お姫様の傍にいたかったからサルサビルに残らなかったんでしょ?」
「それはただ! クロデキルド様には本当にお世話になりましたし、その恩返しに、と思っただけで……」
「本当にそれだけだったのかなー?」
「モアナ殿……!」
 戦場においては武勇を誇るこの男も、彼女が相手ではどうにも旗色が悪い。
 アストラシアにはナキルもいないし、何しろ男は魔道兵団総帥という立場にある。
 こんな風にからかってくれる人間が向こうにはほとんどいないものだから、久しぶりに見たこの光景がおかしくてたまらなかった。
「大体ナマエの前でそんな……、…………ナマエ?」
 男はこちらを見やって、しかし困ったように眉を下げた。
 この男のことだから、自分が気を悪くしないかと心配してくれたのだろう。しかし当の自分はといえば、腹を抱えて笑っているような有様だ。
「何より傑作なのはあれだよね、最後の決戦の前の日! さっさと入ればいいのに、詰所の前で覗きみたいにうろうろしちゃってさ」
「あ、それわたしも見た。面白かったなあアスアド様」
「お前までそんなっ……!」
 とうとう拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
 モアナと顔を見合わせて、思わず声を上げて笑ってしまった。
 ――けれども、こうして自分が油断していられるのもここまでだったのだ。
「ところで、子供はまだなの?」
 ぴたりと笑いが止み、一瞬の空白が流れる。そして、
「モアナ!!」
「当たり前ですよ!!」
 自分と男との声が重なった。
「結婚もまだなんですから、子供なんて出来るわけがないじゃないですか!」
「えー? やることやっちゃえば、出来るもんは出来るでしょ?」
「ちょっと! そんな身も蓋もないこと、」
「そうだ、いっそ先に作っちゃえばいいじゃない! そうすればアスアドさんも踏ん切りがつくわよ、うん!」
「も、モアナ殿!!」
 顔を真っ赤にさせて咎めるように言う彼と同じくらい、自分の頬も赤くなっているのだろう。
 明るくて可愛らしくて、いつも元気を分けてくれる大切な友人だけれど、こういうところばかりはどうにかして欲しいと思う。
「ねえ、二人ともしばらくはここに泊まるんでしょ?」
「ええ、そのつもりですが……」
「じゃあさ、三階の居住区使いなよ!」
 三階の居住区と言えば、ライテルシルトや北辰皇国の出身者、それからポーパス族が使っていたような記憶がある。彼らのほとんどは戦いの後で国に帰ってしまったはずだから、部屋は空いているのだろう。
 そこを使うのは構わないのだが、
「でも、何で?」
「何でって、宿屋だと人が多くて集中出来ないじゃない?」
 ――何に。
 おそらくそう問おうとしたのであろう男の口をさっと手で塞いだ。
 モアナはまだその話を引きずる気らしいが、これ以上露骨なことを彼女に口にされてはたまらない。
「あ、三階も念のために夜には人払いしとくから、安心してね。あたしにまっかせなさい!」
 しかし、純情派の彼もその台詞で思い至ってしまったらしい。
 その顔は再び、シトロトマト顔負けの赤さにまで紅潮している。羽を伸ばすための旅行のはずが、別の意味で気が休まらなくなってしまっていた。
「そうそう。今、ボッシュさんとラティルダさんも来てるから、二人に色々教えてもらうといいと思うよ!」
 ――どうやら今回の滞在は、少々大変なことになりそうだ。

茶会宿題「モアナにいじられてたじたじなアスアド氏」より
2009.06.05

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