Aa ↔ Aa

un pas

「……何て言うか、ナマエ殿も超がつくほど不器用っすよねぇ……」
「そんなこと言われたって……!」
 呆れたような調子でそう言いながらも、同僚の顔はどこか楽しそうだった。
 確かに彼にとってそれは全くの他人事でしかないのだけれど、当事者にしてみれば今後の生活も左右しかねないほどの死活問題であるわけで。
 しかしその当事者たるわたしはと言えば、情けないながらも彼の言葉に対する反論を見つけられそうになかったのだった。目下自分を悩ませている問題を、どうにも扱いきれていないのは事実なのだから。

 全ての元凶は、友人の一言にある。
 第三魔道兵団に所属するその友人とは古くからの仲で、互いに時間のあるときには、会って話をしたり食事をしたりという関係だった。同じ魔道兵とはいっても、隊が違えば顔を合わせる機会もなかなか少ない。あったとしてもせいぜいそれは合同訓練の時くらいのもので、もちろん訓練中に楽しく談笑出来るわけもないのだから、日頃からこまめに互いの様子を伺うようなことは難しかった。そんなわけで、わたしたちが会うときには主にお互いの近況報告をする、ということが多かったのだ。
 そうして先日に会った時も、わたしはいつものように自身の近況を話していたのだけれど。あろうことか、その最中に彼女が突然笑い出したのだ。何もおかしなことは言っていないはずなのに、と怪訝に思ったのも束の間、理由を問い質して愕然とした。
 ……どうもわたしは、彼女にアスアド様のことばかりを話していたらしい。
 というより、わたしが第二魔道兵団に配属されて以来、わたしの話の中に彼が出てこなかったためしが一度もないと言うのだ。それがまったくの無自覚だっただけに、しばらく言葉を失ってしまった。そんな所へとどめを刺すように、友人は笑顔でこんなことを口にしたのだ。
 "ナマエってば、本当にアスアドさんのことが好きよね"、と。
 それから今まで、わたしはその言葉に翻弄され続けている。
 その言葉の、本当の意味に。
 たとえば人としてだとか、上司としてだとか、そういうことなら当然否定すべくもない。アスアド様のことは本当に尊敬している。あまりにも真面目すぎて、少しだけ心配になることもあるけれど。そして彼女も、単にそういうつもりで言ったのかもしれない。だからあの言葉に他意はなかったのかもしれない。
 ただ、わたしにとっても本当にそれだけなのだとしたら。だとしたら、こんなに悩むことなんてなかったはずなのだ。ただ上官として慕っているだけならば、あの時の彼女の言葉にも、きっと笑って頷けたはずだった。
 ――だから、つまりはそういうことなんだと思う。
 知らないうちに、わたしはアスアド様のことをそういう目で見てしまっていたんだと思う。
 そしてそのことに気付いてしまって以来、わたしは以前のようにアスアド様と話をするどころか、まともに顔を見ることすら出来なくなっていたのだった。
「でも、アスアド様もアスアド様っすよ。これだけあからさまな態度なら、普通は気付くと思うんすけど」
「……うーん、それはそれで困るような……」
 気付いて欲しいからという理由で、あからさまと言われてしまうような態度を取っているわけでは決してないというのに。
「まあ、オレは陰ながら応援するしか出来ないっすけど、頑張ってくださいっす」
 椅子を立ちながら言う彼にありがとうと返しながらも、内心では、頑張れと言われてもどうすれば、と思っていた。なんとかしてアスアド様の前でも平常心を取り戻せばいいのだと分かってはいても、それが出来ないから困っているのだ。
「……ああそうそう、午後からアスアド様の執務室で訓練の打ち合わせをすることになったんで、よろしく頼むっす」
 思い出したようにドアのところでこちらを振り向き、そんなとてつもない情報をまるで付け足しのように言う。最後に時刻を告げると、彼はどこか含みのある笑みを浮かべつつ部屋を後にしていった。
 まあ、それくらいの会議なら多分大丈夫だと思いたい。何が大丈夫なのかは自分でもよく分からないけれど、要は打ち合わせだけに集中していればいいのだ。大体、仕事中に考えごとをするというのがそもそも間違っている…………というのは今更なのだけど。
 言われた時刻までには、まだしばらくある。
 一人になった部屋で、わたしは所在無く机に突っ伏した。


 ***


「………え、」
 会議開始予定時刻の五分前、目を閉じて扉を叩き、無駄に深呼吸をしてそれを開け――その途端に絶句する。
 わたしの目に飛び込んできた執務室の風景の中には、たった一人を除いて誰もいなかったのだから。
 そう、この部屋の主である、アスアド様以外には。
「……うそ。時間、間違えた……?」
 いや、確かに聞いた通りの時間に来たはずなのだ。だとしたらナキル殿が間違えたんだろうか。片足だけ部屋に踏み入れたまま硬直してしまったわたしに、アスアド様は困ったように笑いながら「どうした?」と視線を向けてくる。
 その声で心臓が跳ねたのと同時に我に返って、ここであるはずだった会議について恐る恐る尋ねてみた。
「あ、あの、訓練の打ち合わせは……」
「……? そんな予定はないんだが……」
 先ほどの、同僚の意味ありげな笑みが脳裏を過ぎる。
 ――謀られたのだ。
 けれどもそれにしたって、こんなやり方はあまりにもひどいんじゃないだろうか。
 だって、超がつくほど不器用なわたしが、突然こんな状況に放り込まれてうまくやれるはずがない。第一、ナキル殿は陰ながら応援するしか出来ないと言っていたばかりじゃないか。こんなこと、誰も頼んでいないのに――……って、今はそんな事を考えている場合じゃなかった。
「じゃ、じゃあ、わたしの勘違いだったんですね! 失礼しました!」
 一刻も早くこの場を去りたい。
 こう言うと何だかアスアド様が悪いように聞こえるかもしれないけれど、断じてそういうわけではなく、ただわたしが情けないのと、意識しすぎているのと、とにかく全部わたしの方に非があるのだけれど、会議がない以上はここに留まる理由もないし、心臓が保つとも思えないし。誰にともなく心の中で長ったらしい言い訳をして、踵を返そうとしたときだった。
「待ってくれ!」
 掛けられた声に、ぴたりと足を止めてしまう。
 別に、上官に逆らうこと勿れだとかそういう軍規が染みついているわけでもない。そのまま逃げてしまうことだって出来たかもしれないのに、わたしの身体は再び石になったかのように固まってしまった。
「その、だな……ああ、とりあえず扉を閉めないか?」
「は、はい」
 言われるままに自らの手で逃げ道を断った後で、深く息を吸った。……いくらなんでも、このまま背を向け続けているというわけにもいかない。わたしは意を決して振り向いた。視線だけは、床に落としたそのままで。
「ナマエ」
「……はい」
「単刀直入に聞くぞ。……俺は、お前に何かしたか?」
「……え?」
 俯けた顔は、直ちに正面へと戻ることになる。
 アスアド様がそんな事を言うからだ。そしてわたしには、彼の言ったその意味がよく分からなかった。アスアド様は、どこか不安そうな表情でわたしを見ている。
「自分では気が付かないうちに、俺はお前の気に障るようなことをしてしまっていたんじゃないのか?」
「まさか! そんなこと一度もありません……!」
「だったら……、例えば俺に対して何か不満がある、ということは?」
「とんでもないです!」
 口にされるのはまったく覚えのないことばかりで、わたしはただただ首を横に振る。その動きはあまりにも大げさすぎて苦笑を買ってしまいそうなほどだったけれど、目の前の人は腑に落ちないと言った様子で首を傾げるばかりだった。終いには、口元に手をやってうんうん唸り始めるという有様だ。
「……あの、アスアド様……?」
 及び腰になりつつ呼びかけてみる。数秒の空白の後、アスアド様は迷ったような様子を引きずりながらも口を開いた。
「近頃、お前の様子がどこかおかしい――それも恐らく俺のせいでそうなっている、ということには気付いていた。だから、俺に原因があるのなら、何とかしなければいけないと思っていたんだ。……だが、」
 そういうわけではないのか、と。
 真っ直ぐにわたしの目を見ながら、それでもどこか不安そうに聞いてくる姿を目の当たりにして、途端に頭を抱えたくなった。
 それはもちろんアスアド様に対してではなく、自分の至らなさに対して、だ。
 ここ最近の、わたしのアスアド様への態度はおかしいどころか挙動不審そのものだったから、少なくとも変な奴だ、くらいには当然思われているだろうと踏んでいた。自分がまともでいられていないことなんて自分が一番よく分かっていたから、それも仕方がないと思っていたし、そもそもどうすればいいのか分からなかった。
 そんな風に自分のことばかりで手一杯だったわたしは、アスアド様が責任を感じてくれていることに少しも気付けずにいたのだ。心配させて、心を砕かせて、悩ませてしまっていることになんて、思い至らなかった。
 だけど、この人はそういう人だった。
 真面目で一本気で情に厚くて、時々暴走しがちになって、そして誰よりも部下思いな人だった。
 わたしの――わたしの好きな、アスアド様は。
「煩わせてしまって、ごめんなさい」
 あれほどうろたえてばかりだったのが嘘のように、自然と笑みが浮かんでくる。
「アスアド様のせいじゃないんです。あれは、その……わたしが勝手に、ちょっとおかしくなってただけですから」
「……本当、か?」
「本当です。……それに、」
 今までは、自身の気持ちを確認しようとするだけで頭が沸騰しそうになっていた。
 好きだ、という想いを抱えきれずにいるまま、ただ馬鹿みたいに緊張して、落ち着いていられなくて、そういう自分にもさらに動揺してしまって。頭の中だけでぐるぐると迷走するばかりで、その先にあるものなんて、きっと少しも見えていなかった。
 けれど今はもう、そうじゃない。
 だってわたしの中にあるアスアド様への気持ちは、動悸と狼狽とを連れてくるだけじゃない。想いが強くなるほどに、それはわたしを幸せにしてくれるものだったんだから。
 だからこれからは、ちゃんと向き合っていける。
「アスアド様のおかげで、もう治っちゃいましたから」
 そう告げて彼が見せてくれた久々の笑顔と共に、わたしはようやく始まりに立つことが出来たのだから。

リクエスト「好きだということに気付き立ての、中学生日記的に青臭いの」より
2009.09.30

back