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半自覚
――不可解だ。
もう何度、頭の中でこの言葉を繰り返しただろう。
それでも自分を悩ませ続ける問いの答えは、一向に見えてくる気配がなかった。
元来、自分は静かで落ち着いた生活を好んでいた。
レーツェルハフト城へ身を置くようになってからそれは若干失われつつあったが、それでも宛がわれた部屋にいる間は比較的平穏が保たれていたのだと思う。
その部屋すらも騒々しい空間になってしまったのは、偏に彼女が来るようになったためだった。
ナマエは、自分と対極をなす位置にいるような人間だった。
誰にでも愛想が良く、明るくて活動的で、はっきり言ってしまえばうるさい。
そんな彼女の目に自分が留まってしまった理由は本当に分からない。だが、彼女は何故だか自分に興味を抱いてしまったらしく、毎日のように自分の前に姿を現した。食事の時には向かいに座られる、任務が一緒になれば必要以上に話しかけてくる、挙句部屋までやって来ては、そこでも構い倒される、そんな調子で。
"無口で、何を考えているか分からない。"
自分に対する周囲からの評価は大概そんなものばかりだったから、今まで他人に纏わりつかれたためしはなかった。だから、ナマエのことをどう対処すればいいのか初めは本当に困ったものだった。ただ、ミーネもゲシュッツも微笑ましいと言わんばかりの顔をして見守るばかりだったし、鬱陶しかったがそれ以上の害はなかったから、結局自分のとった選択はといえば、放っておく、ということだった。
そんな日々を繰り返すうちに、気が付いたら彼女を前にしてもそれほど鬱陶しさを感じなくなっていた。
有り体に言えば、慣れてしまったというわけである。
思えば最初のうちから突き放すなり何なりしておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。けれど、そもそも大して反応していないはずなのに、自分の前に姿を見せる彼女は本当に楽しそうだったのだ。何が楽しいのかは知れないが、そんな様子に絆されてしまったのかもしれない。毎日毎日飽きずにやって来る彼女を理解出来ないことに変わりはなかったが。
――だが、今、もっと分からないのは自分だ。
静かな部屋は落ち着けるはずなのに、今の自分には少しもそう感じられなかった。
欠落感がある、とでもいったところだろうか。いつもいつも他人の部屋に我が物顔で陣取っていた人物は、後ろを振り向いてみてもそこにはいない。
彼女がそこにいるのが日常化してしまったのは、いつからだったか。
気が付けばそれが当たり前になり過ぎて、いつからそうだったのかを考えることもしなかった。
「……」
十日――たったの十日だ。任務に出掛けている彼女の顔を見ていないのは。
ただそれだけのことで、この不調ぶり。
訓練にも身が入らないのは何故なのだろう。一体どうしてしまったのだ、自分は。
「――!」
ノックもなく、部屋の扉が突然開いた。
反射的に立ち上がる。が、
「ただいま。……どうかしたの、ビュクセ?」
姿を現したのは、期待した人物ではなく同僚だった。
「……いや」
腰を下ろして、溜息をひとつ。
コートを脱いで早々に銃の手入れを始めるミーネをぼんやりと視界に捉えながら、ふと思い至った。
(…………期待?)
期待、していたのだろうか。
無意識のうちに、ナマエが来るのを待っていたとでもいうのだろうか。――まさか。付きまとわれることに慣れたとはいえ、それを望んでいるわけではないはずだ。けれども、それなら扉が開いた瞬間の自分の反応は一体なんだったのだろう。
やはり不可解だ、と、ぐるぐると回る思考を遮ったのはミーネの声だった。
「ねえビュクセ、いいこと教えてあげるわ」
「?」
「ナマエ、今日の夕方には帰ってくるわよ」
そのとき、何かが弾けたような気がした。
それは自分でもどうにも説明のつかないような、衝動にも似たものだったけれど。もう一度立ち上がった時には、階下に降りる決意は固まっていた。
「あら、どこに行くの?」
「……射撃訓練」
「そう。行ってらっしゃい」
……ミーネの楽しそうな表情の意味は、深く考えないことにしよう。
***
職業柄、視力はかなりいい方だと思う。
それは遠くからでも確実に標的を狙い撃つために必要なものだったが、門のはるか向こう側からまとまった人影が近付いてきた時、そのどれがナマエなのかはすぐに分かった。
このままここに立っているのも、何か妙な感じがする。身を潜めるか否か迷っていると、遠く前方に小さく見えるナマエと目が合ったような気がした。もちろんまだ表情も分からない距離であるのだから、全くの気のせいに過ぎないのはずなのだが、
「あ」
まるでそんな声が聞こえてくるような。
そのせいで結局、この場に立ち尽くしたままに彼女を待つことになってしまった。
「ビュクセ!」
ようやく声の届く距離になった瞬間、大声で人の名前を呼びながらナマエはぶんぶんと手を振ってきた。
仲間を置いて、駆けてくる、駆けてくる。
懐かしさに心がざわめき立った。ただの十日ぶりではないか。それを懐かしい、などと。けれども彼女がこちらへ近付くほどにどこか高揚していく自身を、否定することは出来なかった。
「ただいま!」
ついに目の前までやって来た彼女は、息を弾ませながら笑む。
「迎えにきてくれたの?」
「……」
言葉を返さないのはいつものことだ。
だが、今に限っては返さないのではなく、返せないのだった。
いつもなら、元から返事をする気もなく放置を決め込んでいる。しかし今は違った。現に自分は用もないのにここまで来てしまっている。何かを言いたいようで、けれども何を言ったらいいのか分からなくて、混乱していた。
そんな自分にはお構いなしに、ナマエはいつもの調子でまくし立てる。
「そうそう、お土産買ってきたのよ! あのねぇ、チオルイキャベツの酢漬けと、虹織物のハンカチと、それから……」
正直、彼女の言葉の内容はあまり頭に入ってはいなかった。
ただ、馬鹿みたいにその顔を見つめて。声を聞いて。
それだけで、この十日間あれほど落ち着かなかった気持ちが鎮まっていくのを感じる。
「……ナマエ」
「え、」
きっと、初めて彼女の名を呼んだ。
そうしたら、少しだけ分かった気がした。
未だ理由にまではたどり着けないけれども。慣れ過ぎてしまった自分には、どうやら彼女が必要らしい。
「…………元気そうで、よかった」
――そう告げた時の、彼女の幸せそうな顔といったら。