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innocent days

「じゃーな、ディルク、ナマエ!」
「また明日ね!」
「またな」
「そんじゃなー! ……っと待てよ、オレを置いてくなってのー!」
 四者四様にそう言いながら手を振ってくる少年少女に、こちらも手を振り返す。
 時は夕暮れ、西日に照らされた彼らの影が遠く見えなくなるまでその背を見届けた後、同じようにしながら傍らに立つ男を振り向いた。
「お疲れさま!」
「おう!」
 四人を相手に訓練を終えたばかりだというのに、男に疲れの色はあまり見えなかった。さすがは村でも指折りの屈強な戦士というだけのことはある。ただ、ほんの数年前まではただのやんちゃっ子だった少年たちが、この彼を唸らせるようになってきたこともまた事実だったのだけれど。
「シグたちも、ほんとに強くなってきたね」
「ああ。あいつらは、いつか俺を越えるんだ」
 頷くその顔は楽しそうで、どこか誇らしげにも見えた。
 あれだけ教えがいのある弟分となれば、彼の気合もひとしおなのだろう。教え子たちが日増しに力をつけていくのを肌で感じながら、我が子の成長を喜ぶ親と似たような心境でいるのかもしれない。……もっとも、
「ま、そんな日が来るのはまだまだ先だけどな」
 彼にもそう簡単に師匠を降りるつもりは無いようだ。

 少年少女が帰途についた後で、自分たち年長組は村を出て平原をぶらぶらと歩いていた。
 何のことはない、軽い散歩のようなものだ。
 村の外とは言っても、遠出をするわけでもないのだから大した危険はない。ヤディマだって平原に構えた農家に一人で住んでいるのだし、仮にもさもさか何かが襲いかかってきたとしても、それはディルクの敵ではないだろう。
 隣を歩く男を見上げる。強い夕陽のせいで、その横顔からは表情が伺えなかった。
 なんとなく、ナマエは男に身体を寄せた。
 元々大して開いてもいなかった距離が詰まり、肌と肌とが触れる。それは何か思うところがあっての行動というわけでもなく、言うなれば緩い衝動のようなものだった。
「どうした?」
「ん?」
 なんでもないよ、と返す声の白々しいこと。
 自身でも歩きにくいと思うのだから、男の方も当然そう感じているだろう。それでも彼は、離れようとはしないでくれるのだ。
 優しくて強くて男らしくて、頼りになる兄貴分。
 子供から大人まで、誰もが彼を慕うのも当然だと思う。それでも時折なんとなく寂しく感じてしまうのは――――ああ、妬いているのかもしれない。
 そう自覚してしまうと、何とも言えない気分だ。
「そうよね、ディルクはみんなのお兄さんだものね」
「ナマエ?」
「だから、今は独り占め」
 言うや否や、歩調に合わせて揺れる大きな手を掴まえる。
 男は一瞬驚いたようにこちらを見たが、それもすぐに穏やかな表情へと変わった。握り返された手のひらから伝わる温度が、じわりと染みこんで心を満たしていく。そのまま、それ以上の言葉もなく歩き続けた。
 平原を吹く風は、優しく髪を揺らす。草の匂いを連れる、春先の温かい風。
 こんなに平和すぎていいのだろうかと思えるほどに、毎日は本当に平和だった。
「みんなのお兄さん、か」
 ふと、男が口を開く。
「そうでしょ?」
 横顔を見上げながらそう返せば、彼は小さく笑って立ち止まった。ナマエも同じように足を止める。
 男は身体ごとこちらを向いた。
「――けど、こんなことはお前にしかしないさ」
 背丈の高い身体は屈められて、視界に影が落ちる。
 触れるだけの口づけは、初めてというわけでもないのに妙に照れくさかった。
 妬いているのかもしれない、だなんて、少し前まで考えていたことを読まれてしまったような気がするからだろうか。頬に上っていく熱の赤さは、夕陽が隠していてくれればいいのだけれど。
「……ねえ、」
 やがて、身体はふわりとした浮遊感を伴って抱き寄せられる。ナマエは目を閉じて、男の背に腕を廻した。
 耳に響く鼓動を感じながら、願いを込めて小さく呟く。
「こんな日が、ずっと続いたらいいのにね」
「……ああ、そうだな」
 ささやかだけれど幸せな、こんな日々がずっと続いていけばいい。
 そうしていつまでも、自分の隣にこの男が居てくれるのならば。それだけで、他には何もいらないと思えた。
「そろそろ帰るか」
「うん」
 沈みかけた夕日を背に、手を繋いで村への道を歩き出す。
 夜が来て、また新しい朝が来ても、変わらず穏やかな一日が始まるのだろう。明日も明後日も、その次も。