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What she likes with me
人使いの荒い鬼軍師殿に酷使された心身の疲れを癒すのに、新しく城内に出来た劇場は最適な場所だった。
これまでのようにテラスに出て風に当たるのも悪くはないのだが、あの場所はいつの間にか若いカップルの語らい場になってしまったのだ。それを邪魔するような無粋な真似はしたくはないし、何より仲睦まじい若者の甘酸っぱい会話なんて、おじさんにはこっ恥ずかしすぎてとても聞いていられないのである。
というわけで、仕事のない時の居場所はもっぱらこの劇場になっていた。
人間からムササビまで本当に様々な顔ぶれが集まっているこの城では、それぞれが得意とするものもやっぱり様々で、戦争に直接関わることはなくても兵士たちに安らぎや娯楽を提供してくれる人たちは少なくない。劇場で催されるものも日によって違っていて、退屈するようなことはまずなかった。たとえば三人の楽団員による演奏、これは種族を問わず老若男女から支持を得ていて、わたしもアンネリーさんの歌声にナイーブなハートを直撃されてすっかりファンになったクチである。コボルトのダンスはなぜか若い男性に人気があるようで、フリックさんなんかはいつも腹を抱えて大笑いしながら見ているし、あのクライブさんまでもが口元に笑いを浮かべているという有り様だった。
今日のステージに立ったのは、これまた男性に大人気の踊り子だった。かく言うわたしも魅惑のダンスの虜になったうちの一人だったりする。
普段は素朴でおとなしいような印象を抱かせるカレンさんが、舞台に立つとああも変わるのだから驚きだ。そして彼女のすらりとした美脚は、いつもわたしの芸術家魂を引きつけてやまないのだった。
「いやあ、今日も素晴らしい脚線美だったなあ……」
演目が終わった後も、しばらくは見たばかりの映像を頭の中で再生しながら余韻に浸るのがわたしの習慣である。しかし、今日に限ってはそれも長くは続かなかった。
「なーにが脚線美よこのエロオヤジ!」
独り言に反応を返され、ぎょっとして後ろを振りかえる。
そこには、濃い赤のブレザーを纏ったミニスカートの少女が立っていた。
「ナ、ナマエさん……エロオヤジはちょっとひどいですよぉ」
ニューリーフ学院の生徒である彼女は、件のグリンヒル潜入作戦のときにちゃっかりニナさんと一緒に町を抜け出してきたお転婆娘だ。ただ、お友達のようにブックベルトを振り回して戦うということはなく、主に城内で雑用のようなことを手伝っている。最近はヨシノさんから洗濯の極意を教わっている、というのが本人の談だった。
「本当のことでしょ。どうせ脚しか見てないくせに」
心外な、決してそんなことはないぞ。たとえば引き締まったウエストにだってちゃんと目を向けて……って違う、これじゃあ本当にエロオヤジになってしまうじゃないか。そうじゃない、そうじゃないんだ。わたしはただ純粋に、それはもう芸術的な視点でもって芸術作品としての踊りを鑑賞しているだけで、だからやましいことなんて何もありはしないのだ。
「そ、それより、わたしに何か用があったんじゃないですか?」
口に出せば尚更疑われそうな言い訳は心にとどめて、さっさと話を変える。
ありがたいことに少女の方もそれ以上追及する気はないようだったが、ありがたくないことにその顔には何やら含みのある笑みが浮かんだのだった。
「うん。フィッチャーさんにお願いがあって」
……またか。
彼女のお願い攻撃は、今までに何度となく食らっていた。サウスウィンドゥまで連れて行ってに始まり、光るたまが欲しい、デュナン湖でボートに乗りたい、ヤム・クーのところで釣りがしたいのだけれど一人じゃ嫌だから付き合って欲しい等々、ひとつひとつはそれほど面倒なものでもないのだが、挙げればキリがない。半ば勢いでグリンヒルを飛び出してきたものだから、たまには寂しくなったり学校が恋しくなったりすることもあるんだろう――などとついつい親心を出してしまっていたら、いつの間にかすっかり懐かれてしまった……というよりは、いいように遊ばれていると言った方が正しいんだろうか。情けないが、大人の面目も何もあったもんじゃない。
「あのね、レストランに新しいケーキが出たんだって」
「はあ……それで?」
答えの分かっている質問をするほど無益なことはない、とは、我らが鬼軍師殿の弁だったか。
それもまあ分からないことはない、けれども彼女とのこういう応酬はもはや様式美のようなものなのだ。
「ごちそうしてほしいなあ。素敵なお・に・い・さん?」
わたしの肩に手を添えながら、小首を傾げて言う。
さっきはエロオヤジとのたまったばかりその口が、よくもまあいけしゃあしゃあと。
けれどもしたたかな少女は自分を魅せる術をしっかりと心得ていて、結局のところ素敵なお兄さんはいつも簡単に乗せられてしまうのだった。どこか悔しい気がしなくもないが、こればかりは不可抗力だからどうしようもない。何と言っても、彼女は恐ろしく可愛らしいのだから。
「フィッチャーさんと一緒にケーキが食べたいの。……いいでしょ?」
駄目押しのように、座っているわたしよりも目線が低くなるようにわざわざ身を屈めて繰り出される上目遣い。
まったく、おじさんの弱点をよく心得ていらっしゃる。
「ふー、やれやれ。分かりましたよ。そこまで言うなら、好きなだけ食べさせてあげようじゃありませんか!」
「やったあ! 行きましょ、早く早く!」
言うが早いか、少女はわたしの手を引くと跳ねるように歩き出した。
彼女の学友は誰もが知る通りフリックさんにお熱で、年頃の女子の反応としてはむしろそっちの方が通常だと思うのだが、ナマエさんはエロオヤジの手を引くのに抵抗はないんだろうか。美青年が揃い踏みのこのデュナン軍にあって、わたしはと言えば思いっきり貧相な方である。ええ、そんなことは自覚しておりますとも。
それがなぜか。
本当になぜだか分からないのだが、この冴えないおじさんは鼻歌を歌いながら前を歩く少女にどうにも気に入られている、らしかった。
「やっぱりハイ・ヨーさんのケーキは最高ね!」
色とりどりの品々を前に、少女は心底ご満悦といった様子だった。
わたし自身も甘いものはかなり好きな方だが、彼女はさらにその上をいくようだ。その細い身体の一体どこに入るというのか、クリームがたっぷり使われたケーキを一度に三つも四つも食べようというのだから、さすがは十代、若さの為せる業である。あまりに美味しそうに食べる姿に免じて、軽くでは済まない出費にも今回はまあ目をつぶることにしよう。……ああ違う、今回は、じゃなくて、今回も、だ。
「これなら毎日でも食べたいなあ」
「えっ!」
呟かれた言葉につい声を上げてしまう。
……いやいやいや。いくら可愛い少女の頼みとはいえ、そんなことになったらおじさんは破産してしまうじゃないか。待てよ、ケーキ一つで370ポッチ、チーズケーキは450ポッチ。その他諸々平均して一個あたり約400ポッチとしよう、それを一日一個で我慢してもらったとして、一週間で2800ポッチ、一ヶ月では……。
恐ろしい試算結果が出る前に、目の前から笑い声が飛んできた。
「フィッチャーさんってば、なに青ざめてるの? 冗談に決まってるじゃない。それくらい美味しいっていうのは本当だけど」
「……もちろん分かってましたよ、分かってましたとも!」
「ふーん? ならいいけどね」
これはもう完全に遊ばれているような気がする。
口で鳴らした自称・敏腕外交官も、若い娘にはこの通り形無しなのだった。おじさんをからかって楽しいんだろうか、この娘の将来が少しだけ心配だ。
傍目から見ても、おそらく我々はおかしな組み合わせに映るだろうと思う。親子にしては娘が大きすぎるし、兄妹にしてはあまりにも似ていなさすぎる。とすると、ケーキに釣られたいたいけな少女と悪徳オヤジ、辺りが妥当な線だろうか。間違っても天真爛漫な少女に振り回されている善良な中年……いやいや青年とは考えまい。
しかし、それにしてもである。
今まさに最後の一個に取り掛からんとする少女の、端にうっすらとクリームをつけた口元が妙にコケティッシュなのはどうしたものか。わたしの芸術家魂がまた騒ぎ出すじゃあありませんか。
「ねえ、今変なこと考えてたでしょ」
「そ、そんなことありませんよ!」
反射的に言葉を返してしまってから後悔する。何故こうも変なところで勘が鋭いのか、それともわたしの気が緩みまくっていたせいなのか。
「うそ。だって顔がニヤついてたもの」
「うっ……」
痛い追撃に詰まってしまったわたしに、止めの一撃が放たれた。
「フィッチャーさんのエロオヤジ」
勝ち誇ったように言う少女の、なんと楽しそうなこと。
……仕方がない、わたしの負けは認めよう。
けれどもそのエロオヤジの顔を見ながらケーキを食べている方も、やっぱり物好きなんじゃないかと思うわけで。邪な思考を看破されたのが少し悔しかったのもあり、そのまま尋ねてみることにした。
「……エロオヤジとケーキとじゃあ、食べ合わせが悪いんじゃないですか?」
すぐ返事が返ってくるかと思いきや、目の前の少女は考え込むような素振りを見せる。
「そうかなあ?」
「少なくともわたしは、自分みたいなのと顔突き合わせながらティータイムを過ごそうとは思いませんけどねえ」
「うーん……。『ナマエは趣味が悪い』ってニナから言われるくらいだし、よく分かんない」
あんまりな言い方にも聞こえるが、ご学友の指摘もまあ間違っちゃいないだろう。
それでも彼女は、にっこりと笑いながらこう言うのだった。
「でも、フィッチャーさんは優しいから好きよ?」
エロオヤジだけど。
なんて、そんな余計な言葉もしっかり添えてくれたのだったが。
「……ありがとうございます?」
「うん。それとね、紅茶おかわり」
「……」
彼女を理解できるようになるまでには、どうやら今少し修行が必要らしい。
そうして今後もエロオヤジは、可憐でほんの少し悪趣味な少女に翻弄され続けることになるのだろう。やれやれと思いながらも、わたしの頭は彼女が一番美味しそうに食べていたケーキの名前をしっかり記憶していたのだった。