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叔父の心、姪知らず?
つぼみの季節の空は、暖かな日差しを大地へと注ぐ。
執務が一段落した昼過ぎ、うららかな陽気に誘われて中庭へ足を運ぶと、舌足らずな声が飛んできた。
「グントラムおじさま!」
面倒を任せていた相手の元を離れて、こちらに駆け寄って来る小さな少女の姿に自然と頬が緩む。
親馬鹿ならぬ叔父馬鹿である、という自覚は痛いほどにあった。けれども、あどけない笑みを浮かべるこの姪っ子は、自分にとって目の中に入れても痛くないほどに可愛くて仕方のない存在なのだ。
自分でもどうかと思うほどにナマエへの過保護が進行したのは、アストラシアが陥落したその時からだった。
ナマエは姉夫婦の子にあたるのだが、王室騎士であった彼女の父親――自分にとっては義理の兄だ――は城に攻め込んだ協会軍との戦いで命を落としてしまったのだ。
以前から、猫可愛がりをしてやまなかったのではあるけれども。幼くして父親を失ってしまった少女になんとか寂しい思いをさせないように、不安を和らげてあげられるようにと、自分は出来る限りこの姪のことを気に掛けてきたのだった。
陥落直後の頃は亡き父を想って泣くようなことも多く、庇護欲を掻きたてられると同時に本当に心苦しくもあった。しかし天性の明るさからか、時が経つにつれてナマエは次第に笑顔を取り戻していき、今では以前にも増して溌剌とした子に育ってくれていた。おじさまおじさまと懐いてくれる姿には、本当に手放しで喜んだものである。
「ねえ、見て見て!」
近くまで来るなり、少女は手にした訓練用の剣を振る。
その切先が描く軌跡はすぐに分かった――隼・初の型だ。拙いながらも、基本的な形にはなっている。
一通りの型を終えると、ナマエは両目をキラキラと輝かせながら自分を見上げてきた。
「すごい? すごい?」
「ああ! とても上手だったよ」
「でしょう! あのね、フレデ姫さまにおしえてもらったの!」
得意気に言いながら、傍らまでやって来た第二王女を振り返る。
フレデグンドの好意に甘えて、時間のあるときにはこうして子守りがてら剣術の師範を引き受けてもらっていたのだった。
「毎度申し訳ありません、フレデグンド様」
「構いませんわ。ナマエは飲み込みが早くて、とても教え甲斐があるんですの」
幼い娘は父親の志をしっかりと受け継いだらしい。
本音を言えば、自分はこの可憐な少女を少しでも危険な目から遠ざけておきたいと思うのだが。
「筋も良いし、今から将来が楽しみですわ」
「ほんとう!? フレデ姫さま、ナマエもきしだんに入れる!?」
「ええ、わたしが保証します」
「やったあ! ナマエもっとがんばるね!」
それでも、こんなに楽しそうな満面の笑顔を見せられてしまっては、結局少女を見守るほかなくなってしまうのだった。
「そうだ、次はおじさまが相手をしてちょうだい!」
思わず一瞬固まってしまったのは、少女の口からこんな言葉が飛び出した時だった。
「……私がかい?」
「うん!」
期待に満ちた眼差しに見上げられて、言葉に詰まる。
まさかそう来るとは思っていなかった。
いくらまだ年端もいかぬ子供だとはいえ、アストラシア武術大会・少年少女の部――十二歳までの子供たちが参加する大会だ――で準優勝を飾ったことのあるこの姪っ子は侮れない。フレデグンド仕込みの剣技には光るものがあるし、その彼女に「将来が楽しみだ」と言わしめるほどの腕前を持つのだから。
一方自分はと言えば、ある程度の剣術は身につけているもののそれは本業ではない。
協会との戦いを終えて国に戻ってからは特に、万年筆と印鑑を片手に政務一色の日々を過ごしていたのだ。体力も落ちていれば腕も鈍っているだろう。
正直な所、不安だ。それも、かなり。
「……だめなの?」
「い、いや、駄目と言うより……」
「ファラモンにいないあいだ、おじさまも姫さまたちといっしょにたたかってたんでしょ?」
確かにそれは間違いではないけれども、実のところ自分が戦いに出るようなことは少なかった。
閣下と仰いでいた少年は、自分が文官であるということに気を使ってか城の中の仕事を任せてくれることが多かったのだ。
「……おじさまは、剣が得意ではないんだ」
けれども可愛い姪っ子は、こんなことでは納得してくれなかったらしい。
「そんなことないわ! ナマエのじまんのおじさまだもの、なんでもできるに決まってるんだから!」
「グントラム、少しくらい遊んで差し上げてもいいじゃありませんの」
フレデグンドまでもが、にっこりと笑みを浮かべてそんなことを口にする。
二人掛かりに逃げ道を塞がれてしまっては、もうどうしようもないではないか。
「……分かりました。フレデグンド様がそう仰るのなら……」
――その後、自分はこの言葉を後悔することになる。
思えば、互いに剣を握って向かい合ったのは初めてだった。
鍛錬に励む様子を眺めたことは何度もあるが、外から見ているのとこうして間近で対峙するのとでは全然違う。彼女の双眸は真剣そのもので、そこにいたのはもはや可愛らしいだけの姪っ子ではなかった。
ナマエはなかなかの使い手だった。
所詮は小さな少女の力なのだから、繰り出される一撃は軽く簡単にはじき返すことは出来る。こちらが少々力を入れて踏み込めば、彼女に受け切ることは不可能だろう。勿論そんな大人げないことはしないのだけれども。
しかし、身体の軽い子供ならではの動きはかなり敏捷だった。剣の切り返しは速くてキレがある。おまけに型が完全にものになっていない分予測が立てにくく、次の動きが分からないのだ。不安は見事に的中してしまったようで、情けないことだが相当に翻弄されていた。
フィルヴェーク団で戦っていた時は、もう少しまともにやれていたはずなのだが。やはり鈍ったものだ、とそんなことを思った時、突然死角から剣先が迫ってきた。
「――!」
気付けば訓練用の木剣は手から落ち、身体は地面に尻餅をついていたのだった。
「おじさま!!」
ナマエは慌てて剣を置き、自分の傍らに屈んで心配そうに覗きこんでくる。
「だいじょうぶ!?」
「ああ、大丈夫だよ」
無様なことになったとは言え、単にバランスを崩して転倒しただけだ。
立ち上がって、腰に付いた土を片手で払う。
どうしたらいいのか分からないというように瞳を揺るがせている姪を安心させるように、もう片方の手で頭をぽんぽんと撫でた。
「……しかし、ナマエは本当に強いな。おじさまは感動したよ」
この調子でいけば、フレデグンドの言うように将来をかなり嘱望出来そうだ――心からそう思ったままに褒めたつもりだった。
けれども、少女は何故だか黙り込んでしまう。
「……ナマエ?」
はっとした。
大きな双眸が、みるみるうちに潤んでいく。
一体どうしたというのだろうか。自分に怪我が無かったことに安心してくれたのか、それとも罪悪感を感じているのか。はたまた自分が気付かないうちに、どこかを痛めてしまっていたのだろうか。
「……おじさま、手かげんしたんでしょう!」
……どれでもなかった。
ナマエは涙を溜めながら怒っている。恐らくは、自分がわざと手を抜いた、と思って。
――これはどうしたものだろう。
事実は、手加減をしたともしていないとも言えるのだ。弾き飛ばさない程度に力を抑えはしたけれども、転倒したのは故意ではない。不甲斐ないけれども。
「ナマエが子どもだから、わざとまけたのね……!?」
「い、いや、そうじゃないんだ、」
確かに最後は負けるつもりだったが――今はそんなことはどうでもいい。
可愛い姪っ子の円らな瞳は、涙で溢れんばかりになっている。どうしたら、本当にどうしたらいいのだろうか。ぐずついたナマエを慰めたことはあれど、泣かせたことなどは一度たりともない。そんなことがあってはならなかったのだから。それなのに、今のこの状況はまさに。
「本気でたたかわないなんて、けんしへのブジョクだわ!」
「待ってくれナマエ、私は……!」
「もう、おじさまなんて大キライ!!」
――とてつもなく大きな鉛の塊が、頭の上に降ってきた。
幼い足音がぱたぱたと遠ざかり、やがて消えていく。
だが、今の自分にはそれさえも耳に入ってはいなかった。
"おじさまなんて大キライ。"
涙混じりの声が、頭の中で何度も何度も繰り返し再生される。
「……あらあら。ナマエったら、可愛らしいことですわね」
どうすれば良かったというのだろう。
仮にあんな風に転倒しなかったとしても、結局は負けてやるつもりだったのだから、いずれにしろああなっていたのだろうか。
だとしたら、多少痛い思いをさせることになってでも負かせた方が良かった――……? いや、あの姪に対してそんなことが出来るはずなどない。
「……グントラム? いかがなさったの?」
近くで声を掛けられて、やっとで我に返る。
自分と目を合わせた瞬間、第二王女はぎょっとしたような表情を見せたのだった。
「……フレデグンド様……私は……私は一体どうしたら……!」
その後の執務に多大な遅延が出たことは、言うまでもない。