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ツナガルセカイ
無限に広がる可能性を奪わせないために戦っていた。
自分たちの手で切り拓いていく未来を守りたくて、戦っていた。
けれども、そうして守り抜いた未来で彼に会うことが出来ないなんて、そんなことがどうして想像出来ただろう。
「……勝てるかな?」
それは、一なる王に最後の決戦を挑む前の日のこと。
ほんの少しだけ時間をもらって、わたしは異世界へとやって来ていた。
わたしと違う世界で、わたしと同じ天魁の星を背負って、わたしたちと同じ敵と戦う、彼に会うために。
「そいつはやってみなきゃわかんねえだろ?」
わたしの問いに、シグはいつもの調子でそう返してくれた。
分からないなんて言うくせに、その表情はいつだって自信に溢れているのだ。自分が絶対になんとかしてやる、そんな気概に満ちた彼のその言葉に、笑顔に、いったいどれだけ勇気をもらってきただろう。
この時もそうだった。決戦を翌日に控えて不安で押し潰されそうになっていたわたしを、シグは確かに救ってくれたのだ。
初めて彼の世界に足を踏み入れたのは、別世界に行ってしまったレネゲイドを追って来てのことだった。
そこで出会った彼らが、わたしたちと同じように「未来はあらかじめひとつに決まっている」なんて謳い上げる狂気じみた組織と戦っていることを知って――本当の敵が一なる王だと知ったのは、それから少し先のことだ――それ以来彼らとわたしたちは、時折お互いの世界を訪れるようになっていた。何故か異世界へのトビラを通れないシグだけは、こちらに来ることはなかったのだけれど。
それは情報交換のためだったり、レネゲイド退治のためだったり、時には一緒に戦ってお互いを刺激し合うようなこともあった。世界を隔てた先にも、一緒に戦ってくれる仲間がいる。何よりもそのことが、わたしにとっては本当に心強かったのだ。
シグはすごい人だった。
他に言葉が見つからないくらいに、本当にすごい人だった。彼を信じてついていけば、どんなことだって大丈夫だと思えるような、そんな存在。同じ星を背負っているはずのわたしの目にも、彼はひどく眩しく映った。
わたしも、こんな風に在れたらと。
星々を導いていく頼もしいその姿に、わたしはそう思わずにはいられなかった。
本当は、星に選ばれた自分の運命を恨んだこともたくさんあったのだ。どうしてわたしでなければいけなかったんだろうと。こんな役なんて、わたしに務まるわけがないと。傷ついていく仲間たち、消えていく他の世界が辛くて怖くて、全てを投げ出して逃げてしまいたいと思うことさえあった。
そんなわたしを支え続けてくれたのが、シグの存在だった。
星に選ばれたのはわたしだから。わたしがしっかりしなければ、この世界も消えてしまうから。弱いところを見せたら、きっと皆を不安にさせてしまう。だから、わたしも彼のようにならなければ。そうやってなんとか自分を叱咤することが出来たのは、別の世界で彼が頑張っていることを思うからこそだった。
シグがいてくれなければ、わたしはきっとここまで戦い抜くことなんて出来ていなかったと思う。
「……全部終わったら、シグに話したいことがあるんだ」
全てが終わったら。一なる王を倒したら。
そうしたら、彼に聞いて欲しいことがあった。
これはわたしの決意だった。勝てると信じるだけじゃなくて、わたしたちの力で本当に打ち勝って。そうして初めて、わたしは胸を張って彼に伝えられるのだ。
ありがとうと、大好きとを。
「わかった。待ってるからよ、一なる王なんてさっさとブッ倒して早く来いよな!」
わたしは強く頷いた。
叶えたい未来がある。彼と一緒に見たいものが、したいことが、たくさんある。
だからわたしは――わたしたちは、負けられない。
「勝つぞ、ナマエ!」
「うん!」
――わたしを見送ってくれたその時の笑顔は、今も変わらず心に焼きついている。
けれど、わたしが彼の姿をこの目で見ることが出来たのは、それが最後だった。
***
「あ、またため息ついた」
仲間にそう指摘されて初めて、自分が無意識に空気の塊を吐き出していたことに気が付いた。
あれから――最後の決戦を終えてから、わたしはこうして本拠地である城の屋上に立つ時間が長くなっていた。
ここから見下ろす風景の中には、たくさんの人の姿がある。
この城を気に入ってここに住むことを決めた人、世界の融合に故郷が巻き込まれて帰る場所を失った人。はたまた何に惹かれたのか、戦いが終わってから移り住んできた人。様々な理由でここに暮らす彼らは、みんな一様に生き生きとしていた。守りたかった世界の中、どんなことが起こるのか分からない明日を、誰もが楽しんで過ごしているのだと思う。
けれども、わたしは。
「リーダー、最近元気ねーよな。せっかく一なる王をやっつけたってのにさ? なーんか辛気臭いの」
「……辛気臭いって、ひどい言われようだなあ」
「だって事実だし。……ていうかあれだな、腑抜け、って感じ?」
腑抜けとはよく言ったものだった。
わたしのこんな姿を目にしたなら、彼は――シグは笑うだろうか。それとも呆れてしまうだろうか。
あの時、一なる王と戦いながら、わたしたちは彼の声を聞いた。
共に戦う、百万世界の仲間の声を聞いた。それに励まされたから、辛い戦いもなんとか勝つことが出来たのだ。
これが終わったら、また彼に会いに行けるんだ、と。
――そう思っていたのに、この世界と彼の世界はもう繋がってはくれなかった。
仲間の一人が言っていた推測によれば、世界と世界の間を回廊で行き来できたのは、一なる王がいたからということらしい。一なる王が百万世界を一つにしようとしていた副作用で、回廊が簡単に繋がっていたのだと。
シグに会うことがなければ、わたしはきっとここまで来れなかっただろうし、一なる王を倒すことだって出来なかったかもしれないのに。彼に会えたのは一なる王のおかげだなんて、本当に皮肉な話だ。
もう会えなくなるだなんて、思ってもみなかった。
全てを終わらせたら、伝えたいことがあったはずだったのに。ありがとうも何も、わたしは言えないままで。
「……トビラんとこ行くの、もうやめちまったんだ?」
そこに足を運ばなくなったのは最近のことだった。
それまでは毎日のように、わたしは異世界へのトビラに向かっていたのだ。回廊から先へ進むことは、やっぱり出来なかったのだけれど。
何度トビラに入ってみても、身体は世界を越えては行かずに戻ってきてしまう。その度に、身を切られる思いがした。戻ってくる度に、希望が打ち砕かれた気がした。
「……だって、辛いんだもの」
一なる王がいなくなった今では、世界が繋がることはもう本当にないんじゃないかって。疑心は日毎に強くなって、気が付いたらわたしはトビラに近付くのをやめてしまっていた。
「もうあんな思いなんてしたくない。どうせ、」
どうせ、わたしたちはもう――――
「無理、って思ってんの?」
鋭い声に、わたしは驚いてその主を見た。
仲間一のお調子者であるはずのこの彼から、こんな声音を聞いたのは初めてだったからだ。
「リーダー、それ本気かよ」
「だって……!」
「無理に決まってるんだから、試してももう無駄だって? それ、奴らと同じだってこと分かってる?」
その言葉が耳に届いた途端、まるで胸を衝かれたように心がずきんと鳴った。
シグに会いたかった。
誰よりも、彼に会いたかった。その気持ちを支えにして、わたしはここまで戦ってきた。
一なる王を倒して、この世界を救って帰って来られたら。そうしたら、彼にいっぱいの感謝を、想いを、伝えたかった。
それでも、伸ばし続けた手が届く日はいつまでもやって来なくて。
何度も何度も希望が折られていくうちに、わたしは自身の心の弱い部分に勝てなくなっていた。
望みを抱いて裏切られるくらいなら、最初から諦めていた方がずっと楽なんじゃないか。そんな逃げ道に走るのを、踏みとどまることが出来なかったのだ。
――もしかしたら、協会員になった人々もそうだったのかもしれない。強い願いが裏切られたとき、人は絶望の味を知ってしまうから。だから、もう二度とそんな思いをしたくなくて、楽になりたくて、そうして彼らは協会の教えに縋ったのかもしれない。
だけど、わたしが信じるべきなのはそれじゃなかった。
望みがないなんて、決めつけてはいけなかった。
初めから決まっていることなんて何一つないんだって、そう教えてくれたのは他でもないシグなんだから。
「あっちの世界のアイツが言ってたこと、覚えてるっしょ?」
忘れるはずなんかない。
だって、いつだってわたしを励ましてくれたのはこの言葉だった。
「やってみなきゃ……わからない」
そう呟いたときには、わたしの身体はもう駆け出していた。
転びそうになりながら、階段を一気に駆け下りる。
擦れ違う人たちとぶつかりそうになるのにも構わずに、息が弾んでも勢いを緩めることなくトビラまで走り続けた。
シグに会いたい。会わせて欲しい。
もう絶対に、諦めたりなんてしないから。
だから、お願い。
目を固く閉じて、わたしはトビラに飛び込んだ。
――小鳥のさえずりが聞こえる。
遠くの方から、かすかな水の音もまた耳に届いた。辺りを包んでいるのは森の香り。温かいそよ風が、そっと頬をくすぐった。
この感覚を、わたしはよく知っていた。
「ナマエ……!?」
瞼を開いた瞬間、言葉に詰まった。
その代わりにもならないのに、勝手に涙が溢れてくる。
会いたくて会いたくて仕方がなかった人は確かにそこにいて、ナマエ、とわたしの名前をもう一度呼んでくれた。
「シグ……っ!」
抱えきれないくらいたくさんのものが込み上がってきて、ともすれば両足はくず折れてしまいそうになる。入らない力をなんとか振り絞って、わたしは彼に両手を伸ばした。
「やっと会えたな!」
ぎゅうと抱き返してくれる力が苦しくて、けれども温かな温度がわたしを包み込む。
耳のすぐ傍から、本当に嬉しそうな声が聞こえた。
彼も、わたしに会いたいと思ってくれていたのだ。……あんな風に、諦めかけたわたしに。そう思うと心が痛かった。ここに来るのがこんなに遅くなってしまったのは、きっとわたしの弱さのせいだから。
「……ごめん。ごめんね。わたし疑ってた」
「ナマエ?」
「何回やってもトビラが通れなくて、どこの世界にも行けなくて、きっともう駄目なんだって思って、」
だから、シグにももう会えないんじゃないかって。
泣きながらそう続けたわたしに、シグは困ったように笑って、
「バカ」
ぽん、とわたしの頭を叩いた。
「話したいことがある、っつってたじゃねーか。待ってたんだぞ?」
あの日の言葉も、彼はちゃんと覚えていてくれた。
約束した通り、今までずっと待っていてくれたのだ。
「……あのね、」
背中に回っていた腕がそっと解かれる。袖で涙を拭ってから、わたしは口を開いた。
「ありがとう、シグ。ずっとあなたにお礼が言いたかった。あなたがいてくれたから、励ましてくれたから、わたしは今まで頑張って来られたの」
ずっとずっと、伝えたかったことを。
一度は、言葉にする機会を永遠に失いかけてしまったけれど。
いつだってわたしを励ましてくれた誰よりも大切な人に聞いて欲しい、心からの気持ちを。
「だから、ありがとう。――わたし、あなたが大好きだよ」
真剣にわたしの話を聞いてくれていた表情は、最後の言葉で驚きに変わる。
けれど、それも一瞬のことだった。
「……あーあ、オレが先に言おうと思ってたんだけどな」
片手でがしがしと頭を掻きながら、照れたように笑ってみせる。
拭いたばかりの涙が再び流れ出すのを止められない。抑えきれない想いが弾けて、溢れて、そこにあったのはどうしようもないばかりの幸福だった。
「こっちこそありがとな、ナマエ。オレもおまえが好きだ!」
あの日と変わらない、彼の笑顔に。わたしはもう一度、手を伸ばした。
世界を隔てていても、もう大丈夫。
ずっと触れ合っていることは出来ないけれども、心はいつも一緒にあるから。
そうである限り、わたしたちは何度だってまた会える。世界を越えたその先で、会えると信じられるから。
繋がる世界も、繋がる気持ちも、絶対に疑ったりなんてしない。