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That's inscrutable!
「お? ナマエじゃねーか」
訓練場を出ると、斜め前方の部屋に見知った背中が入っていくのが見えた。
「おい、シグルド」
「ん?」
「今あいつが入ってった部屋って何だ?」
閉じたドアを指差しながら、一緒に訓練をしていた相棒に問う。
今まで興味を持ったことも入ったこともなかった部屋だけれど、第五甲板ではめったに見かけないはずの人物が入っていったとなるとどうにも気に掛かる。
「ああ、アクセサリー工房だ。なんでも、材料を持っていけば人魚がアクセサリーを作ってくれるらしいぞ」
返ってきた答えに、つい首が傾いだ。
「アクセサリー? あいつ、そんなんしてたか?」
「いや。でも、この船には年の近い女性がたくさん乗ってるからな。感化されたんじゃないか?」
「……あいつが?」
「ナマエだって女なんだから、別におかしくないだろう?」
「まあそうだけどよ……」
なんとなく釈然としない。
まだこの船に移る前、海賊稼業で得た戦利品の中にそういうものばかり見てきたからかもしれないが、アクセサリーと聞くとどうもごてごてとした煌びやかなものを想像してしまう。
どちらかと言えば素朴な雰囲気の似合う彼女と、それはあまり結びつくものではないように感じた。本当に、なんとなくではあるけれども。
「……何かすっきりしねぇんだよなー」
それから酒場に向かった後も、先程のことが気に掛かったままだった。
なんとも言葉にしがたいような、腑に落ちないような感じが心の中でずっとわだかまっている。
「ナマエの事か?」
「考えてみりゃ、別に危ねぇことしようってんじゃないんだしな。あいつが何しようが勝手なはずなんだけどよ……」
手の中のグラスが、カランと音を立てた。
「……お前はな、」
相棒が口を開く。
彼は一度言葉を切り、琥珀色の液体を喉に流し込んでから続けた。
「ナマエが自分の知らない風になるのが嫌なんだよ」
シグルドは笑っていたが、冗談を言っている様子ではなかった。
告げられたばかりの言葉を、ゆっくりと反芻してみる。
――自分の知らない風になるのが嫌、か。
「……ああ、そうかもな」
自分たちがキカに拾われて以来、元々海賊島にいたナマエには色々と面倒を見てもらった。
顔を合わせれば喧嘩をするような間柄だが、それでも仲はいいはずだ。
飾り気がなく、花より団子を地で行くような彼女だからこそ、今までずっとそういう関係でいられたのだとも思う。
そのナマエが、突然きらきらした装飾品を身につけ始めて、挙句に上品な笑いでも浮かべるようになってしまったとしたら。嫌だ。嫌だというか不気味だ。本人に言ったら殴られそうだが、簡単に言えば「そんなのはナマエじゃない」といった感じだろうか。
そういう訳で、確かにシグルドの言う通りではある。
けれども。
「でもよ、何でそれが嫌なんだろうな?」
それは純粋な疑問だったのに、
「……分からないのか?」
呆れたような言葉と共に、思い切り溜息を吐かれてしまったのだった。
***
それから数日後。
この日、シグルドはラズロに連れられて出掛けていた。自分はと言えばどうにも手持ちぶさたで、一人でも身体を動かそうと訓練場へ向かうことにした。戦いが慌ただしくないのは悪いことではないけれども、それでは身体が鈍ってしまう。そうして、いつものように第五甲板までやってきた時だった。
「あ、」
まるで示し合わせたかのようなタイミングで、件の部屋からナマエが出てきたのだ。
目が合って早速、彼女の元へと詰め寄った。
「よう。こんなとこで何やってんだ?」
「ん、ちょっとね」
別段隠すほどのことでもないだろうに、ごまかすように言われてつい問うてしまう。
「……あれか、アクセサリーか?」
「なんであんたがそれを知ってるの……?」
彼女は些か驚いたらしかった。
本人の口から改めて肯定と同義の言葉を聞かされると、やはり面白くない。近くで見たところ、今は何もつけてはいないようだったけれども。
「やめとけよ」
気付けば口を衝いてそんな言葉が出ていた。
「はぁ?」
「お前にはどうせ似合わねえからよ」
「なっ……! 似合わないって何よ!」
「いいからやめとけって!」
「失礼ね! 大体、いきなりそんなこと言うなんてどういうつもりなわけ!?」
「うるせぇ! お前はそのままで十分なんだよ!!」
「……!?」
思わず白熱してしまった言い合いは、ナマエが急に押し黙ったおかげで呆気なく幕を閉じる。
当の彼女は一瞬の沈黙の後、「深い意味もないくせに勢いだけでそんなこと言わないでよね」だとかなんとかぶつぶつ呟いていたが、この際気にしないことにした。
「……っていうか、あんた何か勘違いしてるみたいだけどっ」
「あぁ?」
「自分のために作ってもらったわけじゃないんだからね」
言いながら、彼女は腰にさげた物入れから何かを取り出す。
「……これ、」
こちらに向かって差しだされたのは、シンプルな腕輪のようなものだった。
「何だ?」
「いいから受け取るの!」
有無を言わせず押し付けられる。
よく分からないが、彼女がアクセサリー工房を出入りしていたのはこの腕輪を作ってもらうためだった。しかもこれは、自分のために用意されたもの。そういうことだろうか。
視線を戻すと、ナマエは妙に決まりの悪そうな顔をしていた。
「……魔法防いでくれるんだって。あんた苦手でしょ? 魔法攻撃」
「お前……」
「べ、別にいらないんならわたしが使うからいいけど」
「いらないなんて言ってねぇだろ!」
受け取ったばかりのそれを腕にはめてみれば、不思議なことにサイズは丁度良い。
大して明るくもない船内だが、それは光を吸収してつややかな輝きを放っていた。
「……ふぅん、いいんじゃない?」
なんとなく、力が漲ってくるような感じがする。
「ああ、ありがとよ!」
気付けば、初めて工房に入る彼女を見たときからどこかで感じていた、漠然とした不安のような不満のようなものがすっかり消え去っていた。
自分を気遣って、ナマエがわざわざこんなものを用意してくれたからだろうか。それとも、彼女自身が装飾品に手を出していないことが分かったからだろうか。そこまで考えかけて、結局そんなことはどちらでもいいと思い至る。元来自分は難しく考えることが好きではないのだから。
「ところでさ、」
ひとつ、疑問にぶつかった。
「何で急にこんなもんくれたんだ?」
今日が誕生日というわけでもないし、最近彼女から改まった礼をされるようなことをした覚えもない。
「それは……」
ナマエは言い淀む。
その頬には朱が差したように見えた。
この反応。それと、前触れもない贈り物。
先程難しく考えるのが好きではないと再認識したばかりではあるが、それらを結び付けるくらいは自分にだって出来る。
「……お前、もしかして……」
「……!」
「飯が足りてないんだな?」
行き当たった答えに、疑いはなかった。
「……は?」
「ダリオの野郎もそうだったんだよ。こないだ珍しく新品の盾なんか寄越してきたと思ったら、代わりにこれから一週間の晩飯くれとか言いやがってな」
もちろん、それは当然断ったのだが。
それでも相手がナマエとなれば話は別だ。さすがに自分の分をそのまま回すことは出来ないにしても。
「…………」
「言い出すのが恥ずかしかったんだろ? でも、こんな回りくどいことしなくても、お前になら飯くらいいくらでも奢ってや」
「バッカじゃないの!?」
……怒鳴られた。
薄い紅色に染まっていた頬は、既に真っ赤になっている。
「何でそうなるのよ、もう!!」
「お、おい、ナマエ?」
「ほんっと、何も分かってないのね! あーもう、あんたなんかのために誂えてもらって損したわ!」
吐き捨てるようにそう言って、だんっ、と足を踏み鳴らす。
「あ、待てって……!」
そのままこちらの制止も聞かず、彼女はぷりぷり怒りながら大きな足音を立てて去っていってしまった。
取り残された自分は、ただ呆然とその背を見送るばかり。
「あいつ、何で急に怒りだしたんだ……?」
食事が足りないのでは、なかったのだろうか。そうでなければ話が繋がらないはずなのだが。誰もいない廊下でしばらく頭をひねりながら、今の応酬を思い返してみても結局答えは見つからなかった。
訓練をしようという気は、もう削がれている。
わだかまりが解けた上に贈り物まで得られたのは本当に嬉しかったのだけれど。また新たに出来てしまった不可解なことに溜息を吐きながら、男は来た道をとぼとぼと戻り始めた。
「ああ、ダリオを引き合いに出しちまったのがまずかったのかな……」