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砂崩し

 たとえば、大きな双眸が愛しげに細められる瞬間。曇りのない澄んだ瞳に、憂いの色が差す瞬間。
 その視線の先にあるのは、いつだって同じ相手だった。
 欲している、と。
 そう自覚した時には、既にその心は誰かのものだった。
 彼女を見る自分の目と、彼を見る彼女の目は、きっとひどく似ているのだろうと思う。視線を追うほどに、思い知らされたのは酷な事実。長い長い、交わらない道はまるで危ない綱渡りのようで、バランスを失わせる切欠は至る所に落ちていた。
 不安定な半直線を強引に断ち切りたい欲望が、自身の中で飽和しつつあることを男は知っていた。
 一なる王を許さぬ自分たちには、初めから決まっていたことなど有りはしない。だからこそ、どうにもならないのだ。人の心ばかりは。

「レネゲイド退治なんて、ただの口実だったの」
 異世界での任務から帰って来たばかりのナマエは、いけしゃあしゃあとそう言い放った。
「本当は、会いたい人がいたっていうだけ」
 焦点の合わないような、遠い目をした横顔。
 ――知っていた。
 こんな目をするのは決まって、彼女があの男を想うときなのだと。
 あの男――アスアドが第二魔道兵団の長となる前から、ナマエは彼の部下なのだと言っていた。
 その頃から、なのだろうか。
 それだけ長い期間、ひたすら向けられ続けた好意に彼は気付かなかったのだろうか。捧げ続けた純情に気付かれぬまま、ナマエは想い人の心を奪われてしまった――? だとしたら、それはあまりにも報われなさすぎる。
 自分ならば。
 もしも自分ならば、寂しい思いなどさせないのに。誰よりも彼女を愛してやることが出来るのに。
 胸の奥がチリチリとする。本当は今すぐにでも、この不毛な連環を断ってしまいたい。
「けど、会えなかった」
 初めて、視線がこちらを向いた。
 聡い彼女は今も気が付かない振りを続けていた。こうして自分が彼女の隣にいる、その理由に。
「……会えていたとしたら?」
「うん?」
「どうするつもりだったのかと聞いている」
 思った以上の、咎めるような口調。
 それでも彼女は機嫌を損ねることもなく、変わらぬ調子で言葉を返してくる。
「それね、正直あんまり考えてなかったの」
 本当に、ただ会いたかっただけだから。
 呟く彼女の真意を、自分は掴めずにいた。訝るような顔でも向けていたのだろうか、「だって」と続けるナマエは、困ったような笑みを浮かべる。
「百万世界のアスアド様なら、もしかしたらわたしのことを好きになってくれるかもしれない、って思っちゃったんだもの」
 それは、諦めなのか何なのか。
 たとえ同じ外見を有していても、同じ声を有していても、それがまったく別の存在であることくらい彼女にだって分かっているはずなのだ。
「貴殿はそれでいいのか?」
 ナマエは、曖昧に笑むばかりだった。

「……分からぬ人だ」
 そして、どうしようもなく困った人だ。
 憂い顔すら自分の心を捕えて離さない、それを分かっているくせに、彼女は何一つ片付けることをしないで躱してばかりいる。
 本音を永遠に宙吊りにしたままで、させたままで、逃げようなど。
 気付かない振りをさせるのは、もう終いだ。
「俺は、」
 華奢な、隙だらけの身体は肩をぐいと押すだけで簡単に床へと倒れ込んだ。
 ナマエは息を呑んだ。
 信じられないとでも言いたげな表情がこちらへ向けられている。この気持ちなどとうに知りながら、それでも何か行動を起こすとは思っていなかったのだろうか。だが、彼女が思っているほど、気は長くない。
 いつも哀しげにあの男を見ていたばかりの双眸が、今は面白いくらい動揺に揺れている。
 ある種の高揚感は、確かにそこにあった。それは虚しさと同居していたけれど、それでも構わなかった。
「振り向かせること叶わずとも、今目の前にいる貴殿でなければ意味がない」
 ――このまま心まで攫ってしまえたのなら、どんなにか幸せだろう。
 浮かび上がってきたそんな思考を無理矢理追いやって、視界も声も全てを封じた。