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ユリイカ
それは本当に長い旅路だったように思う。
多少は腕に覚えがあると言っても、当ても分からないままの一人旅。風雨に襲われゴロツキに襲われ魔物に襲われと、正直に言ってここにたどり着くまでには何度も心が折れそうになった。その度に、なんて面倒事に巻き込んでくれたんだ、と幼馴染を恨めしく思ったものだ。
……それなのに、いざこうして再会を果たした途端に、その鬱憤やら何やらが綺麗さっぱり霧散してしまいそうだというのは、我ながらいかがなものだろうか。自分も大概単純に出来ているのかもしれないが、しかし今はそれではいけないのだ。彼女たちには、しっかりと反省してもらわなければならないのだから。
モーリンとヨベルの姉弟が揃って姿を消したことに、地元は一時大騒ぎになった。
何といっても彼女たちの家は地元でも一、ニを争うほどの大商家で、小市民たちはその家に支えられて生きているようなものだったからだ。もちろん自分のところも例に漏れずで、取引先に数えてもらっているおかげで毎日の生活が出来ているといってもいいくらいだった。ただ、親同士にはかなり昔からの付き合いがあったらしく、ありがたいことに自分の家は弱小商家の中でも一番よくしてもらっていたのだ。娘や息子と年も割と近い自分は、幼い頃は特に彼らの遊び相手として駆り出されたものだった。
その娘と息子が、二人していなくなったというわけである。
心許ない目撃情報によれば、深夜に町を出て行った二人組の姿があったらしいが、突然の出奔に本人たちの両親よりも心配していたのはなぜか自分の父親だった。「嬢ちゃんと坊っちゃんを探して来い!」と鼻息も荒く命令を賜ったのは二人の失踪が発覚した直後のことだったが、偉大なる慈父はご丁寧にも、「二人を見つけて連れ戻すまでは帰って来るな」とのお達しまで付けてくださったのだった。
あの姉弟は、ああ見えて意外と腕っぷしが強いことを知っている。だから実父ほどオロオロとうろたえるようなこともなかったのだけれども、一応は親交の深い幼馴染であるはずの自分に一言もなしに、というのは気にかかったというか、もっとはっきり言ってしまえば面白くなかった。そういう心境だったので、帰って来るなという父の命をあんまりだとは思えど、二人を探す旅に出ることに対しては嫌な気はしなかった。何だかんだでやはり心配であることは事実だ。特に姉の方は、昔からどうにも放っておけなかった。
ただの幼馴染だ、と言ってしまうのは、どこか違う気がする。だからといってどんな存在かと問われれば、明確な答えはまだ見つけられていないのだけれども。
「……どうしてがここにいるのよ!?」
何かの役に立つかもしれないと父に持たされた、ハチ避けの仮面がまさか本当に役に立つとは思わなかった。
これがなければ、"同じような仮面をかぶった男を連れた少女がレーツェルハフト城にいる"という噂を聞いてここまでたどり着くことは出来なかっただろう。防具としての性能には疑問符がつくような代物である上に、見た目の不気味さからか人々から変に怪しまれることも多かったのだが、結果良ければ全て良しということにしておこうか。何故ヨベルもこの仮面をかぶっていたのかは謎なのだが。
「どうして、じゃないだろ!」
城に着いてからは、とんとん拍子に事が進んだ。
手にしていた仮面がここでも功を奏し、自分が名乗らないうちに、城の見張りらしき人間の方から「もしかしてヨベルの知り合いか」と声を掛けられたのだ。自分は彼とその姉の幼馴染で、故郷から二人を探しに来た。そう答えれば、見張りはすぐに二人を連れて来てくれたのだった。
探し人にしてみれば、まさか自分が訪ねてくるだなんて思いもしなかったのだろう。見張りから話を聞いた段階ではまだ信じられなかったらしく、自分と顔を合わせた瞬間の彼らはと言えば大層な驚き様だった。
「ヨベ坊連れ出していなくなるかと思ったら、こんな遠いところに!」
「ちょっ、ヨベ坊はやめろって!」
「町のみんなが心配してんだぞ? 分かってんのか?」
弟の声を無視して問い詰めれば、決まりが悪そうに俯く姉。
「……それは……」
「家出するにしても、せめて書置き残すなり、後から手紙出すなりあんだろうが!」
「……」
「ヨベ坊も!」
「だから、ヨベ坊はやめ……」
二度目の抗議の声を制するように、鋭く視線を投げる。
ヨベルは諦めたように言葉を飲み込んで、それから改めて口を開いた。
「……だいたい、オレはイヤだって言ったんだぞ! だけど姉ちゃんが、一人じゃ心細いって言うから!」
「ちょっとヨベル、わたしのせいにするつもり!?」
「つもりも何も、事実じゃないか!」
「何よ、生意気ね!」
途端に始まる姉弟喧嘩に、思わず溜め息が零れ落ちる。
呆れる一方で、しばらく見ていなかった懐かしい光景につい和んでしまいそうになるのだが、放っておけば彼女たちはいつまでもこの調子であるということを思い出した。
「あー、もういい、分かった分かった。とりあえず落ち着いて話を聞いてくれ」
無事に二人を探し出したからといって、そこで仕事を完遂したわけではないのだ。家に帰るまでが何とやら、たどり着いたこの城もまだ折り返し地点にしか過ぎない。
「俺の任務、お前らを連れて帰ることなんだけど」
すると、言い合いはぴたりと止んで、
「それはダメよ!」
「それはダメだ!」
声を揃えてこの返答。
再び溜め息を吐きつつも、どうせこういう反応が返って来るだろう、という半ば諦めに近いものは既に自身の中にもあったのだった。
「イヤだったんじゃなかったのかよ、ヨベル?」
「……まあ、最初は姉ちゃんの付き合いだったからさ。だけど、今は違う。オレにはここでやらなきゃいけないことがあるんだ!」
弟がここまで我を通そうとするのも珍しい。そして姉の方は言わずもがな、
「わたしにだって、やらなきゃいけないことがあるわ! 絶対に帰らないんだから!」
こう言われてしまってはどうしようもなかった。
そもそも無理やり連れて帰るだけの力量もない。モーリンが言い出したら聞かないのは今に始まったことではないし、ヨベルと二人してそれに振り回された経験は嫌というほどある。その弟までもが感化されてきたあたりは多少残念ではあるが、それはともかくとして、だ。
「……ああもう、仕方ねえな!」
このまま自分だけが手ぶらで帰れるわけがなかった。父親の命令が云々ということではない。
詳しいことは自分には分からないが、このフィルヴェーク団が何らかの戦いの最中にあることは確かなのだ。そんな所で、二人を放っておけるはずなどない。
「連れて帰るのは諦める。……けど、俺もここに残るからな」
***
「……まさか、が一緒に戦ってくれるなんてね」
こちらにしてみれば、幼馴染が世界の存亡を賭けた戦いに身を投じていたことの方がまさかの事態だった。
世界の融合やら何やら、聞かされた話はあまりに途方もなくて、自分でも未だに全てを理解しきれてはいない。とはいえ、だからと言ってここで為すべきことは変わらないのだ。二人を守る、ということは。
「協会ってヤツも相当ヤバそうだし、ここまで来たら放っておけねえよ。……そんなことよりお前、何で俺にまで黙って出てったんだ?」
自身の中で一番気に掛かっていたことを聞いてみる。
黙って、といっても、隠し事なんて一つも何もないというような間柄でもないのだけれど。ただ、彼女に頼りにしてもらえなかったことは、やはり何となく面白くなかった。
「それは……そうね、個人的な事情だったし、あなたを巻き込むのもどうかと思ったんだもの」
「……ヨベ坊を用心棒代わりにするんだったら、俺だって使えなくもねえと思うけどな」
「そうかもしれないけど、とにかく居ても立ってもいられなかったのよ!」
妙に熱のこもった口調に思わずたじろいでしまう。
そんな自分の様子を気に留めることもなく、そのままの調子で少女は続けた。
「あなたに理解出来るかは分からないけど、好きな人にはいつでも自分を見ていて欲しいものでしょう? だから、わたしはあの人を――イクスを追ってきたの」
そんな内容を聞かされるとは思っていなかったからかもしれない。その言葉には、思考を停止させる要素があまりにも多すぎた。
あなたに理解できるかは分からない。好きな人。そして、
「……イクス?」
その名にはうっすらと覚えがあった。
以前ふらりと町に現れた旅の青年が、そう名乗っていたような気がする。自分は別段彼のことなど気にも留めていなかったのだが、後になってから「若い娘に手当たり次第声を掛けていたらしい」との噂を聞いた時には、不届きな男もいたものだと思った記憶がある。
……あまり良くない、予感がした。
「……もしかして、前に町をふらついてた例のナンパ男か? お前、まさかそいつのことを……」
「そうよ、悪い?」
ようやく頭はいつもの回転速度を取り戻していた。
男が町に現れた。彼女は男に口説かれて、恋に落ちた。姿を消した男を追って、彼女は町を飛び出した。それが真相だというのだ。
「悪い?」だなんて、悪いに決まっているではないか。彼女だって、あれだけ噂になった男の軽薄さは分かっているはずなのだ。それでいてなおあの男がいいと言うだなんて、全くもって理解に苦しむ。そんな理由のために弟を連れて出奔し、そんな理由のために自分はこうして旅を強いられることになったというのか。それはあんまりではないのだろうか。
いくつもの抗議の言葉が、瞬時に頭を過ぎる。しかし結局は、そのいずれも声となって自身の口から発せられることはなかったのだった。
「……いや、好きにすればいいと思うぜ」
当然だった。
ひどく幸せそうな、恋する少女の顔を見せられてしまっては。
「投げやりに言わないでくれる? わたしにとってはすごく大切なことなのよ!」
「……あーはいはい、分かったからもういいよ」
「失礼ね! なんて、恋の一つもしたことないくせに!」
「ばっか、俺だってなあ……!」
「俺だって、何よ?」
俄然がっかりしながら肩を落とした。
それでも、妙に清々しい気がするのは何故だろうか。
「……なんでもねえよ」
言いながら、少女に背を向けて歩き出す。
自身の淡い気持ちに気付いた時にはもうそれが終わっていただなんて、なんとも滑稽な話だった。――ただ。
好きな人にはいつでも自分を見ていて欲しい。
彼女の言うそれは、きっと自分には当てはまらないのだろう。
「ちょっと、まだ話は終わってないわよ!」
「適当に応援しといてやるから、せいぜい頑張れよ」
なぜなら自分は既に、見守ることの幸せを見出しつつあったのだから。