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lazy morning
カーテンの隙間から差し込む光に目を覚ました。
眩しさに顔を顰めながら、それでもゆっくりと瞼を持ち上げる。部屋の中もずいぶんと明るかった。既に、陽は高いところまで昇っているらしい。
どこか倦怠感に包まれた身体で寝返りを打てば、すぐ隣で眠る男の寝顔が目に入る。静かに手を伸ばして、瞼にかかっていた前髪をそっとよけた。いつもはしっかりと整えられているそれは、触れてみると意外と柔らかい。
気だるい午前は心地が良いが、ナマエはわずかに空腹を感じていた。
この時間ならもうブランチにすらならないのだろうが、いつ食べてもメイミの料理が美味しいことに変わりはないのだから問題ない。
今日は何を食べようか――そんなことを考えながら、上半身をゆるゆると起こす。眠気を払い落すように小さく頭を振ると、傍らで眠っていた男が身じろぐ気配がした。ナマエは彼に目を向ける。男は眩しさを疎むように、薄く瞼を開いた。
「……おはよう、お嬢さん」
眠気の滲み出た、掠れた声が言う。
笑みを返せば、上掛けの下から緩慢な動きで腕が伸びてきた。届く距離まで身体をかがめてその腕に応えれば、半分ほど身を起こした男の腕に肩を抱かれた。ガウンを挟んでいるせいで手のひらの温度を感じられないのが惜しい。昨夜それに袖を通したような記憶はないから、おそらく風邪を引かないようにと男が着せてくれたのだろうが。
ちゅ、と音を立てて、額に口づけが落とされる。
しかしそれは、遅い朝のはじまりを告げる合図にはならなかった。そのまま起き出すのかと思えば、男は再び頭を枕へと沈めてしまったのだ。何をしているのかと目で問いかける自分に、男は小さな笑みを返してきた。
「せっかくの休日に、のんびりしないでどうするんだい?」
「……それ、おじさんの発想だわ」
「生憎俺ももう若くはないんでね」
緩く腕を引かれ、ベッドの中に戻るように促される。
なんとなく流されているような気もしなくはなかったが、こんな時間まで寝ていたのだからもう少し怠惰に過ごしていても同じことだろう。望むように再び身体を横たえれば、満足気な表情を浮かべた彼に髪を撫でられた。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
「ねえ、」
身体は確実に空腹を訴えていた。
そろそろ腹の虫も鳴き出しそうな気配である。男の方はそうではないのだろうか。由無し事を話しながらベッドでごろごろとしている間に眠気はもう吹き飛んでしまったのだし、もう十分過ぎるほどのんびりしているような気がする。
「お腹空いた」
思ったままにそう口にすれば、
「俺で良ければ、どうぞ好きなだけ召し上がれ」
ふざけた答えを返してくる。男に聞こえるように、ナマエは思いきり溜息を吐いた。
「それはもう食べ飽きた」
「おいおい! いくら俺でも今のは傷ついたぞ。ひどいな、まったく……」
大げさに言いながらも、その声は笑っているのだ。
食う食わぬの話はともかくとして、この男ならこれから先も飽きさせてはくれないのだろう。それはよく分かっていた。一回り半もの年齢差があるのだ、自分に比べればどうしたって彼は大人である。呆れさせてくれる部分もたくさんあるのだけれども。
「だいたい、もう若くないんじゃなかったの?」
「それとこれとは別問題さ」
言いながら、大きな欠伸をひとつ。
「……困ったおじさんね」
男にここを動く気がないということはよく分かった。
が、だからといって自分の空腹が解消されるわけでもない。今や関心は食事の方に向いている。男がその気なら、自分の方もここに留まるつもりはなかった。
「ベッドから出たくないならいいわ。メイミのところでサンドイッチでも買ってきてあげる」
「後でいいよ」
「よくない」
「いいって」
「だから、わたしがお腹空いたの!」
延々と続きそうな応酬に、思わず語気を強めた。それでも男は顔色一つ変えない。
諦めて追従してくれることまでは期待してはいなかったものの、こんな調子では部屋どころかベッドからも出ないままで一日が終わるようなことになりかねない。自堕落にも程があるというものだ。
ここまで来たら、もう実力行使しかない。妨げようとする男の腕を振り切って、無理矢理身体を起こした。
「やれやれ。かわいこちゃんは、俺よりも食事が大事と見える」
「わたしよりもベッドが大事な人にだけは言われたくないわね」
目もくれずにそう言えば、男は吹き出した。どこまでも飄々とした態度に苛立ちを通り越して呆れながら、振り向いて視線だけで抗議をする。もういっそのこと、ランチは自分の分だけを買ってきてしまおうか。半ば本気でそう考え始めたとき、まるでこちらの思考を読んだかのようなタイミングで、男が緩慢に起き上がった。
「……分かった分かった、俺の負けだよ。これ以上お姫様の機嫌を損ねたら大変だ」
諦めたように、それでもどこか楽しそうにそう言って、上に大きく伸びをする。緩く軋んだベッドが僅かに髪を揺らした。
遅すぎる朝は、ようやく始まろうとしていた。
それも自分の理想通りの形で、だ。何だかんだで結局それが叶えられることは決まっていたのかもしれない。改めて何を食べようかと思案しながら、羽がついたような気分でベッドを降りようとすると、肩を掴まれて止められる。男は人差し指で、自身の唇をとんとんと叩いてみせた。
「……なに?」
「何って、意味が分からないわけじゃないだろ?」
――糖分を補給しないと動けないからな。
悪戯っぽく笑みながら甘えた声を出す男に、本日二度目の溜息。
「……本当に、仕方のないひと」
窓の向こうから、昼を告げる鐘の音が聞こえた。