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warm ourselves

 山男も連れずにチオルイ山に登ろうというのは、ある意味無謀かもしれなかった。
 山の天気は変わりやすい。知識としては頭にあったものの、こうも突然吹雪いてくるとは思わなかった。
 轟音を立てて吹きつける強風と豪雪が容赦なく視界を奪っていく。右も左も分からないままに先へ進もうなどとしたら、遭難は確定だ。ぽっかりと口を開けた山腹の洞穴が運良く見つかってくれたおかげで、その難はなんとかやり過ごせそうだった。
「……狭い」
「文句言うな!」
 風雪をしのぐという目的を果たすのには問題のないこの場所だが、二人の人間を悠々と受け入れられるだけの広さはなかった。いくら窮屈だとは言え、吹雪が静まるまではここにとどまる他ないのだけれど。
 非常食や火を熾すための道具など、万一に備えた物品は携帯しているためにその点は心配ない。差し当たりは、この吹雪さえ止んでくれればいいというところだった。
「……ついてないんだから、もう」
「仕方ないだろ! 大体、おまえがチオルイ山に行きたいなんて言い出すから……!」
「なによ、一緒に来るって言ったのはそっちでしょ? だったら最初から来なきゃ良かったじゃない」
「おまえの護衛なんか、任された奴が可哀相だからな」
「はぁ? それ、どういう意味よ!」
 そこまで言い終えた時には、互いに白い呼気を吐きながら肩で息をしていた。
 ただでさえ酸素が薄いのだ。くだらない言い合いで体力を浪費するのは得策でないと理解したらしく、ロベルトもそれ以上を言い返してはこなかった。
 口を閉ざしてしまうと、聞こえてくるのは風の音だけだ。
 この静けさはどうにも居心地が悪い。なんとなく居た堪れなくて、ナマエは座り込んだ。窮屈な洞穴では仕方がないとはいえ、男との距離が近過ぎるのもこの居心地の悪さの原因だと思ったのだ。この独特の状況が、考えなくていいことまでを頭の中に連れて来てしまう。
 それなのに、傍らの男も自分に倣うように腰を下ろしてしまったのだった。せっかく開いた距離が詰められてしまって、ますます落ち着かない。
「……おい」
 先に沈黙に耐えられなくなったのは、男の方だったらしい。
「……なに?」
「こんな所に来てどうするつもりなんだ?」
 言われて初めて、ここに来た目的を告げていなかったことを思い出す。
 今の今まで聞かれなかったから答えなかったものの、この男もそんな状態でよくついて来たものだ。
「ここにしか生えない薬草があるの」
 ザフラーやユーニスほどではないにしても、ナマエには薬学の心得があった。
 サポートとしてシグたちに同行することもあるが、基本的には医務室で彼ら二人の手助けをしているのだ。この山に来たのは、より効力の高い薬を精製する材料を得るためだった。
「……大変だな」
「……まあ、あんたみたいな戦ってくれてる人たちほどじゃないけどね」
 実際、この仕事を苦に思った事は一度もないのだ。それよりも、男の口からそんな言葉が出てきたことが意外だった。
 ロベルト自身もそう思ったのだろうか、それからまた何となくお互いに黙ってしまう。
 しばらく経っても、吹雪は止む気配を見せなかった。

「……雪、なかなか止まないみたいね」
「……ああ」
「やっぱり、付いてきてくれなくてよかったのに」
「そ、そんなのはオレの勝手だろ! それにおまえなんかのために来たわけじゃない。何かあったらフィルヴェーク団に迷惑がかかると思っただけだ!」
 男の物言いに、ついくすりと笑みをこぼしてしまう。
 言い訳をする時にとりわけ多弁になるというのは、最近分かったことだった。
「……なんだよ?」
「なんでもない」
 そして、ふと気が付く。
 触れる肩からじんわりと伝わる温度。外の空気も自分の身体も冷え切った中で、そこだけが温かかった。
 ナマエは無意識に男の肩へ首を凭せ掛けていた。
 男は驚いたようにびくりと反応し、そのせいでナマエは自らの行動を自覚するに至ったのだが、それでも顔を起こそうという気にはならなかった。
「お、おい……! 寝たら死ぬぞ!」
「寝ないし死なないわよ」
 そんなに動揺したのか、見当違いな言葉を投げてくる。
 撥ねつけるような調子で返答する自分の様子から彼の危惧する状況ではないと分かったらしいが、本当に雰囲気も何もない男だ――――
 そう思っていると、彼は突然もぞもぞと身動きをし始めた。
 何事かと思う前に、ぴたりとくっついていたはずの腕が急に引かれる。狭い空間でバランスを失った身体は簡単に男の胸元に倒れ込んでしまった。腰は地面についたままだが、上半身は完全に彼と密着した形になってしまう。
「勘違いするな、べ、別に変な意味なんてないぞ……! ただ、凍えられたらこっちが困るってだけだからな!!」
 こちらが何かを言わないうちに、男は一息でそう言い放った。
 ……やはり多弁なものだ。
 その声が妙に上擦っているものだから、抗議をしようという気も失せてしまった。それどころか満たされた気分になるのは、このおかしな状況のせいだろうか。
「……ほんっと、素直じゃないんだから」
 吹雪が止むまで暫し。
 視界の端に映る男の頬が赤く染まって見えるのは、寒さの所為か、それとも。