Aa ↔ Aa
蒼炎
どくんどくん、と心臓の音だけが煩く響いている。
熱を孕んだ身体は苦しくて、互いに床を見つめたまま視線すらも合わせられずにいた。
「……ねえ、」
「な、なんだよ……?」
「そんなに緊張されても、困る、んだけど」
「おまえだって……!」
沈黙に耐えられずに発した自身の声はひたすらに頼りない。
もし傍目があったならば、自分たちはどれほど滑稽に映っていたことだろうか。何せただ床に座り込んで向かい合っているだけなのだから。
たったそれだけのことで、この余裕の無さ。
こうして二人きりになるのには、慣れることが出来そうにない。
初めは、苦手だと思っていた。
何かにつけて牙を剥いてくるような態度だとか、他人を見下すような言動だとか。
沸点の低い自分は、その度に噛みついていた。この男と言い合いをした数ならシグよりも遥かに多いように思う。良くも悪くも、シグは思ったことをストレートに口に出すだけだった。けれど自分は逆だったのだ。意地を張りすぎるあまり、思っていないことまでもがつい口を衝いて出てしまう。そんな調子で、ロベルトと自分とは顔を合わせればいつも喧嘩ばかりしていた。周りからも呆れられてしまうほどに。
気に入らない相手だ、という認識が変わったのはいつからだったろう。
多分、それは急なことではない。長い時間をかけて、次第に変化していったのだと思う。
会ったばかりの頃の、人を馬鹿にしたような態度の裏には、祖国への強い忠誠心があったことを知った。その奪還のために、彼が誰より必死で鍛錬を積んできたことを知った。直情的で、時折周りが見えなくなることはあっても、本当は他人の心を思いやれる人だった。同じ戦線で戦ったときに、文句を言いながらも庇ってくれたことだって一度や二度ではない。
気が付いたら、もうどうしようもないほどに惹かれていた。
「――!」
目の前から急に伸びてきた片腕に驚いて、びくりと肩を強張らせてしまう。
それを拒絶と受け取ったのか、男は一瞬動きを止めた後、伸ばしかけたそれを引っこめようとした。途端、無意識とはいえ自身のとった反応が恨めしくなる。もちろん嫌だったわけなどではなくて、本当に驚いただけなのだ。
そう弁解するより先、遠ざかろうとしていた手を掴んでいた。
男がはっとしたようにこちらを向いたのが分かる。自分はと言えば、未だ俯いたまま。ただ言葉もなく、触れたその指を握りこんだ。
「……ナマエ」
名を呼ばれ、ぎゅう、と手を握り返された。今度は肩ではなく、心臓が跳ねる。まだ顔は上げられない。
「な、に」
「……こっちを向けっ!」
大声を出されて漸く、逸らしたままだった視線が男の顔を捉える。
目に映ったのは、ひどく真剣な表情。
蒼い双眸の放つ光は強く、睨まれているのではないかと思うくらいだったが、彼の頬の赤さがそれを否定していた。
真っすぐな蒼い瞳。
その向こうに熱情を見たとき、繋がった手の引かれるままに、ぐらり、身体が傾いだ。
倒れ込む寸前で空いている方の腕に支えられ、吐息の触れる距離まで顔が近づく。目前の蒼色の中には泣きそうな顔をした自分がいた。それを見たのを最後に、きつく目を閉じて視界を封じる。
初めてのキスは、信じられないくらいに優しかった。
温度を共有したのは、永いようできっと一瞬。ほんの少し触れただけなのに、全身からは力が抜け切ってしまって、ナマエは男の胸にくたりと身体を預ける。
背中に腕が廻されるのを感じながら、ほうと息を吐いて熱を逃がした。
そっと目を閉じれば、鼓動が聞こえてくる。初めは早鐘を打っていたそれも、時間が経つにつれてだんだんと落ち着いてきていた。自分の方もそうであればいいのだけれど。
「……ロベルト、」
呟くように、男の名を呼んだ。
笑いたくなるくらいにぎこちない動きで髪を撫でていたその手が、ぴたりと動きを止める。
息が詰まりそうな緊張感は、僅かにだが弛緩していた。
好きだなんて、今更改めて言えるはずもない。
けれどもそれはお互い様。
どうしたって不器用な自分たちには、甘い雰囲気なんて似合いじゃないと分かっている、それでも。
「……責任、とってくれなきゃ許さないからね」
――もうどうにかなりそうなくらいに、いとおしくて仕方がない。