Aa ↔ Aa

ユニゾン

 傍にいられれば、それでよかった。
 思えば幼い頃から、憎まれ口を叩き合いながらも多くの時間を一緒に過ごしてきたような気がする。
 今までずっと名前らしい名前を付けられずにきた関係をはっきり確かめたことはないけれども、でもそれは彼もわたしもそういう性格じゃなかったし、なんとなくでもお互いの気持ちは分かっていたつもりだったし、だから改めて口に出すまでもない、と思っているところがあったから、それはそれで構わなかった。
 わたしは本当に、傍にいられればよかったのだ。
 協会の脅威が無くなった世界で、クロデキルド様を女王に頂いたこの新しいアストラシアで、一緒にいられるのなら、それだけで。
 それだけで、よかったのに。

「……こんな所にいたのか」
 背後から近付いてくる足音と声。
 三角座りで地面に腰をつけたまま、わたしは振り返りもしなかった。
 こんな所、というのもちょっとご挨拶だと思う。土砂崩れが起こる前までは綺麗な草原だったこの場所で、昔はよく遊んだものだったんだから。まあ、今では緑なんて見る影もなくて、もの寂しいだけの荒れ地になってしまっていることは確かなのだけれども。
「何してるんだよ」
「そっちこそ」
 相変わらず声の主の方を見ないままで、わたしは言った。
「王室騎士様がこんな所で油なんか売ってていいのかしら」
 自分で口にしてみると、尚更塞いだ気持ちになる。
 ここで遊んだ幼い頃の思い出が草原と一緒に失われてしまったわけでもないのに、どうにも今日は考えが悪い方へしか向かっていかない。……ううん、今日はじゃなくて、きっとこれから先しばらくの間、わたしはずっとこんな調子を引きずり続けていくんだろう。
 国外への出向を控えているこの男――ロベルトが、それを終えて再びアストラシアに帰ってくるまでは。
「失礼なヤツだな。おまえが街にいないから、わざわざ探しに来てやったんだ」
「それはどうも。……わたしを探すくらいなら、出発の準備でもしてればいいのに」
「そんなのとっくに終わらせたに決まってるだろ」
 その言葉は、フィルヴェーク団に向かうロベルトの期待の大きさをそのまま表しているのかもしれなかった。
 そしてわたしの気分はさらに落ちていくのだ。
「ああそう」
 離れ離れになるのが苦しいのは、わたしだけ、なんだろうか。
「……おい」
 それは今までよりも明らかに怒気を含んだ声音だった。
「さっきから何のつもりなんだよその態度は!」
「うるさい、別にどうだっていいでしょ!」
 とうとう立ち上がって顔を向けてしまったのが失敗だったんだと思う。
 もちろんわたしだって好きで喧嘩をしたいわけじゃない。けれども昔からの癖で、声を上げられるとスイッチが入ったようにやり返してしまうのだ。ささくれ立っていた心のせいか、沸点はいつもよりずっと低くなっているみたいだった。
「どうでもよくないから言ってるんだろ!」
「放っといてよ! 大体、全部あんたのせいなんだから!!」
「何だと!? 言いたいことがあるならはっきり言えよ!!」
 一度転がり出したそれは、全てを吐き切るまで止められない。そのことをわたしはよく知っていた。
「だって、ロベルトがアストラシアを離れるなんて言うからじゃない!!」
 本当は、言うつもりもなかったのに。
 愛国心の強いこの男が、せっかく取り戻した祖国を離れることを決めたくらいなのだ。彼にとってそれだけ惹かれるものが、きっとフィルヴェーク団にはあるんだろう。そのことを分かっていたから、だから言うつもりなんてなかったのに。
「あの二年間も、その後も、わたしがどんな思いであんたのこと待ってたと思ってるのよ……!」
 それを最後に、わたしは俯いてロベルトから目を逸らした。
 もしかしたらもう会えないかもしれないとも思った、協会占領下の二年間。
 そして、ファラモンが解放されてから、フィルヴェーク団が協会を倒すまでの数ヶ月。
 初めの二年間は不安が大きかった。寂しさが大きかったのは、後の数ヶ月の方だった。

 アストラシアを取り戻すための戦いが終結したときも、世界を守るための戦いはまだ終わってはいなかった。
 解放された王都を再び奪い返そうと攻めてきた協会をもう一度撃退した後、二年の間に従士から剣士団の一員になっていた彼はわたしにこう言ったのだ。
 やるべきことがあるから、まだアストラシアには戻れない。協会を倒すまでは、フィルヴェーク団と共にレーツェルハフト城にいる、と。
 その言葉に、わたしは自分も連れて行って欲しいと言った。フィルヴェーク団は非戦闘員もたくさん抱えていると聞いていたから、わたしにも何か手伝えることがあるかもしれないと思ったから。そして何より、ロベルトの傍にいたかったから。
 けれども彼はそれを許してくれなかった。
 おまえが来てもしょうがない、それよりアストラシアで協会の支配に苦しんでいた人の手助けをしていろと。わたしが何を言っても彼はダメだの一点張りで、結局不本意ながらもわたしは国でロベルトやクロデキルド様たちの帰りを待つしかなかったのだった。
 次に彼らが帰って来るとき、その時こそ、協会に占領される前の平和だった頃のように戻ることが出来る――そう信じていたからこそ、今まで待てたようなものだったのに。
「せっかく全部終わったのに……、また、なんて」
 しかも、それが本人の希望によっての出向だなんて。
 あの時みたいに一年も二年も会えないわけではないけれど、王都とレーツェルハフト城とを瞬時に行き来することが出来たトビラだとかいうものが消えてしまったらしい今では、半月以上もかかる距離なのだ。
 ロベルトにとっては、わたしと離れることなんて何でもないのかもしれない。それこそ絶対に言えないし、言いたくもないけれど。そのくせに、頭の中ではそんな言葉がぐるぐると渦巻いている。
「……おまえ、レーツェルハフト城に行きたくないのか?」
「…………え?」
 わたしは顔を上げた。
 熱の引いた頭でも、その言葉の意味がすぐには分からなかったのだ。つい、ロベルトの顔を見つめてしまう。彼は神妙な表情をしていた。
 レーツェルハフト城に行きたくない? 誰が? ……わたしが?
 それじゃあまるで。まるで、彼の言葉は。
「誰も置いて行くなんて言ってない!」
「連れて行ってくれるとも聞いてないわよ!」
 お互いが全てを理解したのは、ほぼ同時だったんだと思う。
 そして何を考えているんだと言わんばかりのロベルトに、わたしもまた言葉を返してしまうのだ。
「何よ、前は駄目だって言ったじゃない!」
「あの時はまだ協会を倒していなかったんだから当たり前だ!」
 ――ただ、そうとは言っても、二度目のやり合いはすぐに終わることになる。
「おまえの身にもしものことでもあったらオレは――」
 その言葉は、わたしだけじゃなく彼自身を黙らせるのにも十分すぎるものだったから。
「いや、違う!! その……っ、お、おまえのおばさんに申し訳が立たないだろ!」
 一瞬はっとした表情を見せた後、頬を赤らめながら慌てたように早口で言う。
 同じように大声を上げているのに、それはさっきまでとは全然違うものだった。
「……今度は、いいの?」
「……まあ、別にもう連れて行かない理由もないからな。……まったく、おまえときたら勝手に勘違いなんかして!」
「ちゃんと言ってくれないロベルトだって悪いんでしょ……!」
 そうだ、言ってくれないから。
 一緒に行こうとも、連れてってやるとも言ってくれないんだから。
 だからわたしは準備も何も出来ていないし、本来悩まなくもよかったことで悩むことになってしまったんじゃない。
 ――でも。
「お、おい、ナマエ……!?」
 でも、もうそんなことはどうでもいい。
 これから先、ずっと一緒にいられるのなら。
 時々喧嘩をしながらでも、彼の行く先を傍で見届けることが出来るのなら、もうそんなことはどうだっていい。
「……ロベルトのバカ」
 思わず抱きついたその先からは、ついに悪態は返ってこなかった。