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篭手

「気が済むまで見てていいぜ。けど、絶対に傷つけんなよ!」
 騎士団の館内、宛がわれたばかりの私室にて、クレイマーは何とも得意気な調子だった。
 元々考えていることが表に出やすい種類の人間ではあるけれど、声の端にまで隠し切れない嬉しさが滲んでいる。表情の方も、その状態は一体いつから続いているのか、年相応の少年らしい笑顔に彩られていた。それも仕方のないことかもしれない、何しろ彼がずっと憧れていた伝説の剣聖――アルシオーネがかつて愛した剣が、今その手元にあるというのだから。
 同じ剣士という身ではあれど、クレイマーと違ってナマエはそれほど剣には頓着しない性質だ。使いづらくなく、それなりに切れるのならば正直なところ何でもいい。どちらかといえば、威力があっても下手に重い剣はあまり好まず、身軽に扱える小振りのものの方を気に入っていた。装甲を纏った兵と戦うのでもなければ、支給のブロンズソードで十分だと思っている。
 しかしそんなナマエも、この大剣バルムンクを目の前にしては、見事だという感想しか出てこなかった。
 彼に言わせれば「なめらかな感触、あたたかい息吹、全てを包み込むような優しさ」に満ちているらしいのだが、さすがにそこまでは分からないにしろ神々しさや風格めいたものは強く感じられる。傍らにこの剣があれば、どんな戦場に立っていても心強いことだろう。銘にはこだわらない自分も、素直にそう思った。けれどもそれだけだ。
「……いいなあ」
 ぽつりとこぼれた呟きは剣を羨んでいるようにしか聞こえなかっただろうが、実のところそうではない。
 俺は剣が何よりも好きだ、と、クレイマーはそう公言している。彼と共に奪われた宝剣の奪還に向かった他の兵たちも、「剣を眺めるクレイマーの姿はまるで恋人と語り合っているかのようだった」などと話していたくらいだ。眺めているだけで恋人ならば、それが彼の物となった今では新婚の夫婦とでも言ったところだろうか。
「……ずるい」
 剣に嫉妬をしているだなんて、自分でもどうかしているとは思う。
 そもそもこのクレイマーという男、本人の言うところの「剣を愛する男のロマン」こそ抱いていても、男女のロマンに関しては欠片ほども分からないような少年なのだ。本当にこの男がいいのか、と自分自身首を傾げたくなることもないわけではない。それでも、子供っぽくはあるが飾らない彼の真っ直ぐさは、ナマエの目にひどく眩しく映った。ひたむきに夢を追う姿をもっと見ていたい、と思っている自分に気が付いてしまってからは、もうこの気持ちを止めることはできなかった。
 そういうわけで、ナマエがこの男に惹かれているのは事実であり、したがって多少とはいえバルムンクを相手に悋気を起こしているということも、また事実なのだった。
「そんなこと言ったって、この剣は公子が俺の力を見込んで授けてくれたんだからな」
 だいたい、お前の細腕じゃ大剣は扱えないだろ。
 そんな反応はまさに予想通りだったが、ため息を殺すことまではできなかった。
「別にあんたに妬いてるんじゃないし」
「……? どういう意味だ?」
 クレイマーを相手に分かれと言う方が酷なのだ、それは十分に理解している。そして一から百まで説明してやるつもりなど更々ないナマエは、もうこの部屋を後にするつもりで大剣から視線を外した。気が済むまで見ていてもいいとのありがたいお言葉は賜ったが、この男ではあるまいしとっくに気は済んでいる。そもそも自分にとって、バルムンクはただの恋敵に過ぎないのだ。
「何でもないわよ。……じゃあ、今回で契約も切れるし、わたしはギルドに戻るから」
 騎士団に雇用された傭兵は、契約期間中は館内の傭兵用の部屋に滞在することになっている。この度めでたく団員となったクレイマーとは違って、ナマエは傭兵の身分のままであるため、契約の更新がなければここに留まる理由はないのだ。
 この後はギルドで新たな仕事を募るつもりだった。傭兵の中では比較的良心的な値段を提示していることもあって、騎士団の懐具合が余程悪くない限りは近いうちにまたリース公子から声が掛かるだろうとは思う。けれどもけじめはけじめだし、荷物の少ない身では度々の拠点移動もさほど面倒には感じなかった。

 そうしてドアの方へ向き直ったナマエを、男の声が引き止めた。
「お前は騎士団に入らないのか?」
「何よ、自分は剣もらったからっていい気になっちゃって」
「違ぇよ!」
 と声を上げるも、一応は浮かれている自覚もあったのか、数拍置いて「いやまあそれも無くはないけどさ」と言い淀む。いちいち素直なことだ、とつい笑いそうになってしまった。
「……けど、公子だって結構お前のことアテにしてると思うぜ?」
「だったらまた雇いに来てくれればいいわ」
 実のところ、騎士団に入らないかとの誘いはナマエも以前から受けている。しかし、未だに肯定の返事は返していなかった。
 シノンやリース公子に不満があるというわけでは全くないのだ。元はあまり貴族にいい印象を抱いていなかったナマエも、リース公子がどれほど誠実で信頼に足る人物であるかはこれまでの戦いの中で身を以って知っていた。剣を捧げる相手としてはこれ以上ないくらいだとさえ思う。ただ、何といっても傭兵身分というのは気楽なものなのだ。好きな時にだけ働けて、仕事の中身だって選ぶことができる。それを考えると、なかなか踏ん切りがつかずにいるのだった。これといって騎士団入りを拒否する理由があるわけではないのだが、要は身軽さの問題だった。
「……なあ、前にさ、英雄になるのが俺の夢だって話しただろ」
 クレイマーは出し抜けにそんなことを言い出した。それとこれとは何の関係が、と思いながらもとりあえずは頷きを返す。
 彼はボルニアの農家の生まれだが、幼い頃から大好きだったというベルウィック創世の時代の英雄伝説――中でも剣聖アルシオーネの物語に憧れて、生家を飛び出しナルヴィアの傭兵ギルドに入ったのだと聞いていた。
「それは俺一人の力で成し遂げられることじゃないと思うんだ」
「……まあ、確かにそうかもね。でも騎士団に入ったんだから、一人じゃないでしょ?」
「そうだけど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
 どうにも意図しているところがはっきりしない。たとえば気が昂っている時など、思いつくままに口を動かすせいで話が支離滅裂になる、ということはこれまでも偶にあったけれど、今の様子はそういうものとは少し種類が違った。
「ジスターとアルシオーネは、ずっと背中を預け合って戦ってきただろ。俺がアルシオーネでお前がジスターってのは……まあ、違うけど」
 だんだんと尻すぼみになっていく言葉を聞いて、ナマエは軽く目を瞠った。
 要するに自分の側で戦えと、この男はそう言っているのだ。そのためにナマエにも騎士団に入れと言っている。自分一人の力では英雄になれない、だから側で力を貸せと。それは分かった。分かりはしたが。
「……何でわたしなの?」
「何でって、嫌なのか?」
「そうとは言ってないけど……頼りになる相手だったら、もっと他にいるじゃない。ディアンとかフェイとか……」
 シノンに雇われるようになって以来、何だかんだクレイマーとナマエは共に戦うことが多かった。任務では同じ部隊に配置されたり、住民依頼にはセットで出撃させられたり、といった具合に。しかしそれはあくまで騎士団の指示でそうなっただけであり、そこにナマエの意思は介在していない。だからクレイマーと一緒に行動する時間が長かったのは、偶然とまでは言わないにしろそれに似たようなもので、単純に力量を考えるのであれば今挙げた人物たちの方が自分よりも上である。
 そんな中で自分と共に戦いたいと言ってくれたことを、喜べばいいのに素直になれないのは特別な理由が欲しいからだ。この男を相手にいったい何を期待しているのだ、とは自分でも思ったけれど。
「そりゃあいつらは強いけどさ。二人とも、それぞれ何か重大な使命を抱えてるように見えるじゃないか」
「……その点わたしには、何もやるべきことがなさそうだって?」
「いや、だからそうじゃなくて!」
 あー、と焦れたように頬を掻く。その仕草が言葉を探しているようにも思えたから、そうじゃなければ何なのだと急かすのはやめにして彼がそれを見つけるのを待った。
 ――その先を聞かなければ良かった、などとは思わない。むしろそれはナマエの望みに近しいものでもあった。けれども。
「俺、お前とならずっと戦っていける気がするんだ」
 橙色の真っ直ぐな瞳に見据えられる中で耳に届いたその中身は、あと少しばかり心の準備を要するものであったと言わざるを得ない。
「――っ!」
 どうせ深い意味などないくせに。なぜ自分となら戦っていけると思えるのか、そこまで考えてなどいないに決まっているのに。
 今度こそこの部屋を出るべく、ナマエはドアの取っ手に指をかける。
「あっ、おいナマエ、やっぱり帰っちまうのか?」
「違う!」
「じゃあどこに……」
 頬が熱い。恐らく自分の顔は耳まで真っ赤になっているのだろうが、それでもクレイマーがその理由にたどり着くようなことは絶対にないだろう。今ばかりは、彼がこの手の沙汰に疎いことに救われた思いだ。
「わたしも騎士団に入れてくださいって公子にお願いしてくるのよ! バカ!!」
 そうして思いきり閉められた扉の前、室内に残された少年だけが一人首を傾げていたのだった。