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 あのとき入り損ねた部屋に、中島は立っていた。
 思えば自らここに足を踏み入れるのは初めてだった。今までは、もう一人の自分を通して間接的に訪れたことがあったに過ぎない。それでも最後に目にした時から、主なきこの部屋の風景は何一つ変わってはいなかった。館長の男の差し金なのか、埃もない室内は定期的に清掃もされているようだ。――いつ帰って来てもいい。部屋だけを見れば、そんな状態だった。
 壁際に置かれた机もきちんと拭き掃除がなされていて綺麗なものだ。そこに彼女の書き残した何か――例えば日記やら手帳やらの類がないかと思ったのだが、机上にも抽斗の中にもそれらは見つからなかった。確かにそんなものを毎日こまめに記しておくほど几帳面な女ではなかった。
 代わりに目を引いたのが、最上段の抽斗の中にあった飾り箱だ。蓋を開けると、いつだったかもう一人の自分が彼女に贈った万年筆が収められていた。受け取ったときには使うのが勿体ないだとか言っていたが、見たところそれなりに愛用されていたらしい。使う度にいちいち箱から出し入れをしていたのならご苦労なことだ。
 箱の中にはもう一つ眠っていたものがあった。何の変哲もない、押し花の栞が一枚。だが、中島はそれに見覚えがあった。取り出して裏返し、刻印されていた書店の名を見てやはり、と思う。同時に、こんなものを未だに持っていたのか、とも。もう半年近く前のことだったが、古書店に行った折、開店何十周年だかの記念だと受け取らされたそれを、帰館して部屋に戻る途中でたまたま出くわした司書に押し付けたのだ。
(……あの時、あいつは馬鹿みたいに喜んでいたんだったか)
 そうだ、こちらとしては不要品を処分しただけだったのに。思いのほか嬉しがられて、どれだけ安上がりなのかと呆れたものだった。わざわざこんな箱に入れておくくらいだから余程気に入っていたのだろう。
 物好きな女だ、と中島は独り言ちた。

 結局、彼女の部屋からそれ以上の収穫は得られなかった。
 無駄だろうとは思いながらも、もう一人の自分が贈った万年筆のその後の処遇を書き加え、中島は書の世界へ飛ぶ。無駄というのは物語の中で彼女を探す行為のことではなく、追記した内容では再会の鍵にはならないだろうというだけの意味だ。だから中島は、もう一人の自分と同じように書いては潜ることを繰り返していた。江戸川の言うことなど信用できるものか。仮にそうでなくとも、本当の結末を書けるはずもなかった。
 物語の中でまで、彼女を死なせるなど。冗談ではない。
「初めまして――ってちょっと君、どこへ行くのさ!?」
 始まりの部屋に、やはり彼女はいなかった。
「なんだお前は。ここは吾輩の部屋だぞ。用がニャイなら去れ」
 司書室は、彼女の仕事場ではなくなっていた。
「あれ、君、新入りさん? 何を探してるのか知らないけど、そこは開かずの間だよ。帝國図書館七不思議の一つで――」
 彼女の私室に続くはずの扉は、開くことはなかった。

 食堂も地下書庫も中庭も、図書館の敷地の至るところを中島は歩いて回った。それでも彼女の片鱗は何一つ見つからなかった。出会う人物風景、その全てが悉く彼女の存在を否定するのだ。再びエントランスに戻った時には、中島はもう疲れ切っていた。無人の階段に腰を下ろすと、思わず乾いた溜息が漏れた。
『――中島先生!! どこに行ってたんですか……!?』
 ふと頭の中に響いてきたのは、記憶の中の声だ。
 そう遠くない在りし日に、同じこの場所に憔悴しきった様子で座り込む女がいたのを思い出す。中島の姿を認めるなり、その女はふらふらと立ち上がってそう言っていた。
 あれは潜書の後のこと。浄化を終えて戻ってから、補修を待たずにその場を離れたことがあった。受けた侵蝕の程度はさして重くもなく、対処を急ぐような状態ではなかったからだ。戦いを共にした他の三名の負傷具合からして、自分の番が回ってくるまでにはそれなりの時間が見込まれたし、寝台が空くのを待っている気にはなれず、司書が重傷者の手当にかかっている隙に中島は黙って部屋を後にした。そうして気の向くままに外を出歩き、散歩に飽いた頃になって図書館へ戻ったとき。膝を抱えて俯く女の姿を見て、さすがに決まりの悪さを覚えたものだった。
『無事でよかった……あなたに何かあったら、わたしどうしていいか……』
『……そうだろうな。俺が消えれば奴も消える』
 彼女に他意がないと分かっていながら、そんな言葉を投げたのはなぜだったろう。今となってはもう定かではないが、彼女の反応なら覚えている。
(あの時のあいつは――)
『なっ……そんなつもりで言ったんじゃありません!! わたしは――!』
 泣きながら怒っていた。
 短からぬ付き合いの中で、それは彼女が初めて見せた顔だった。
 いつまでも姿を現さないのはあの時の意趣返しのつもりなのか。そんなくだらないことを考えてしまう。だとすれば相当根に持たれていたのかもしれない。今なら詫びを入れてやったっていい、だから早く出て来い、一体何を書いてやれば満足するのだ。そこでまた、目を背けていた最悪の可能性が頭を過ぎっていった。
 ――アナタの本には彼女の真実が書かれていないからです。
 思い出すだけで苛立ちが募る。それでは何の意味もない。あの女ももう一人の自分も救われないまま、何度でも別れを繰り返すだけではないか。
 そんなことがあの男に耐えられるはずもない。けれども真に書くべきことはまだ見つからない。そうしてまた溜息が出る。
「……お疲れのようですね」
 そのとき、背後から聞こえるはずのない声がした。それはあまりにも聞き慣れすぎていて、中島は振り返るまでもなかった。
「……ふん。無様に閉じ籠っていたくせに、こんなところには出てくるのか」
 階段を降りる足音が一歩ずつ近付き、やがて隣に立った。自分のものと同じブーツのつま先が視界に入る。
「もう少し驚かれるかと思っていました」
 声の主が隣に腰を下ろした。そこでようやく中島はそちらに視線をやった。分厚いレンズの丸眼鏡。灰みがかった浅葱色の、素顔を隠すように長い前髪。誰よりもよく知った姿だった。現実の世界では決して相見えることのない、もう一人の自分。正しくは、それに近い何か。
「驚くものか。ここは虚構の世界だろう」
 この男は、物語の登場人物としての中島敦なのだ。そうでなければ、二人が邂逅することなどあり得ない。
 中島の言葉に、男は困ったように笑った。
「虚構……ですか。でも、私たちは記憶のとおりに彼女の姿を書いていたはずですよね?」
「だとしても結末を偽っている。ならば結局は作り話と変わらん」
「……そうなのでしょうか」
 あまり納得がいかないらしい。それでも、そのたった一つの偽りが全てを夢物語に変えてしまうとしても、まさにそれこそがあの男に必要なものであるのだ。理解されずとも構わない。
 男はそれからしばらく沈黙を守っていたが、やがてもう一度口を開いた。
「あなたにお尋ねしたいことがあります」
「何だ」
「本当のことを書かなければ彼女に会えないとしたら、あなたはどうしますか?」
 思わず眉根が寄る。江戸川の言葉に惑わされ、絶望して一人で逃げ込んで、全てを己に押し付けておきながらそれを問うのか。相手が本人そのものではないと分かっていてもうんざりした。
「……その前提は気に入らないが答えてやる。それはお前の問題だ。仮に俺が書いたところで、あの女を失い続けるのはお前なんだぞ」
 耐えられるのか。そう訊けば、男は悲しげに瞼を伏せて首を横に振った。
「はっ、見たことか」
「……いえ。そうではないんです」
「……何?」
「あなたは……」
 それ以上言葉が続くことはなかった。時が凍ったかのように男は突然動きを止め、そのつま先から上に向かって色彩が失われていく。
「おい!」
 男の全身は瞬く間に黒一色に飲み込まれた。輪郭だけを保ったまま塗りつぶされたそれは、身体を得た影のようだった。影はたちまち動き出し、額から髪をかき上げるような仕草とともに形を変える。――もう一人の自分と身体を代わった後に、中島が毎回していたのと同じ風にして。
「……全く、よもやそこまで愚かだったとはな」
 顔などありもしないのに、蔑むような視線が確かに向けられているのを感じる。己の声で発せられた愚弄に、中島は舌打ちを返すのがやっとだった。
「……今度は俺の紛い物か。次から次へと妙なことばかり……」
「お前がこうも魯鈍でさえなければ、わざわざこの俺が出る必要もなかったさ」
 他の誰に嘲られるよりも、己の模造品の言葉が最も忌々しいなどとは知らずともよかったはずだ。もう一人の自分と違わぬ外見を保っていたさっきまでの状態は、まだましな方だったのだと思えた。己と同じ形をしていながら、一面黒く塗りつぶされたこの様はまるで。
「……そんな影に身を窶しておいて、よくも俺を騙れたものだ。それでは侵蝕者共との区別もつかん」
 相手が挑発に乗るとは思っていなかった。だが、まさか溜息を返されるとは。心底呆れたとでも言いたげな様子が、中島の神経を逆撫でする。そうして影は言うのだ。まだ分からないのか、と。
「いいか。お前らの書いたこの本には、致命的に欠けているものがある」
 またそれなのか。いい加減にしろ。それは書かないと何度言ったら分かる。そのどれもが言葉にならないうちに、影は一言で中島の思考を打ち砕く。
「それは当然、あの女の死などではない」
「……何、だと……?」
 そうだと信じておきながら、肯定された途端に疑うなどとはどうかしている。それでも中島は、その続きを聞きたかった。聞かねばならなかった。最早嘲弄への苛立ちなど忘れた。こんな訳の分からない存在の手を借りなければならない、その屈辱も甘んじて受ける。
 もう一度彼女に会える、その手掛かりがあるのなら。
「初めから、誰もあの女を殺せなどとは言っていない。それを恐れるあまり、奴が勝手に囚われたに過ぎん。……もっとも、奴ばかりではなかったようだがな」
 言われてみれば確かにそうだ。彼女の死を書かねばならぬと、はっきり口にした者はいない。
 彼女の真実。本当のこと。欠けているもの。三者三様の言葉が表すそれは、だとすれば一体何だというのだ。誰よりも彼女の側にいた男が見落とすほどの。致命的な欠落だと言わしめるほどのそれは。
「いつまで“奴の為にしてやっている”つもりでいる。お前はそれを言い訳にしているだけだ。奴がどうであろうと、お前にあの女を殺せるはずがないだろうが」
 あの男が悲しむから。
 志半ばで死んだあの女が哀れだから。
 浮かんだそれらは書かない理由にはなっても、書けない理由にはならないはずだ。けれども影は言う。中島に、それを書くことはできないと。
「……これはあの女と奴の物語ではない。この本は――」
 影がじっとこちらを見つめている。見つめる瞳などないのに視線が突き刺さる。心臓がどうしようもなくざわついた。今にも息が詰まりそうだった。その先を知ってしまったら、もう後戻りはできない。それは確信めいた予感だった。ああ、けれど、それでも“俺”は。
 ――あの女と中島敦の物語なんだ。
 ならば分かるだろう、お前が何を書くべきなのか。そう言い残して、影は跡形もなく消えていった。

 書かなかったことがある。
 この物語に、それは余計だと思っていたからだ。彼女は“奴”の恋人だったからだ。
 けれど。
(……ああ、何だ)
 二人だけの会話があった。
 己にしか知り得ない表情があった。
 彼女を喜ばせたくて、いつも立派な贈り物を考えていた男は、粗末な栞一枚で馬鹿みたいに嬉しがることを知らない。
 彼女に嫌われたくなくて、泣かせることも怒らせることもしなかった男は、その両方を一度に見せることを知らない。
 あの時、初めて泣きながら怒られた後。引きずられるようにして医務室まで連れて行かれる間、掴まれた手に伝わる温かさも小刻みな震えも、全て鮮明に覚えている。それから寝台に押し込まれて、補修を受けながら中島は眠ってしまったけれど、目を覚ましたときにも彼女はそこにいた。瞼を上げて、初めに飛び込んできた笑みに出迎えられた瞬間。沸き起こった感情の名が、今なら分かる。
(……馬鹿は俺の方だったか)
 あの男の知らない彼女の姿など書くべきではない。そんなものを読んで、あの男が平気でいられるはずがない。そう思っていたことに偽りはないけれど、理由はもう一つだけあった。
 本当は、明け渡したくなどなかったのだ。
 そうすれば、己だけが知る彼女がいなくなってしまうから。恋人である男さえ知らない、己だけの秘密ではなくなってしまうから。
 せめてそれだけは、ただ一人己だけのものにしておきたかった。
 ――なぜなら、もう一人の中島敦も、彼女を愛していたのだから。


 ***


 書から帰った中島は、机に向かって真新しい原稿用紙を一枚ちぎった。
 彼女の話をするならば、己自身を語ることもまた避けられない。けれど、今更躊躇う理由はなかった。いずれあの男は悋気に苛まれることになるだろうが、それもお互い様だと今なら言える。
 そうして中島はひたすらに書いた。己だけが知る彼女の姿を、寝食を忘れて書き続けた。書くほどにそれは鮮やかに蘇り、書くほどに彼女を愛しいと思った。
 それから何日かの後。全てを書き終えたのと同時に、身体は自然と物語の中へと導かれていった。

「……随分待たせたようだな」
 木漏れ日の落ちる部屋に、男と女は二人きりだった。
「いいんです。こうして会えたんですから」
 伝えたいことならきっといくらでもあった。それでも、初めに伝えるべきことは決まっていた。
「司書」
「はい」
「お前を好いている」
 彼女が何を言う前に、中島はその身体を抱き竦めた。腕ごと封じ込めて、抱き返されることのないように。顔を胸元に押し付けて、彼女が何も語れぬように――夢のように優しい言葉を聞かずに済むように。
「……だが……あまりに遅すぎたな……」
 腕の中の痩躯はひどく温かくて、だからこそ今が現実ではないことをこれ以上ないほどに知らしめてくる。
 彼女を失って辛かった。苦しかった。泣きたかった。その感情は、全てもう一人の自分のものだと思っていた。同じ一つの身体を通して伝わっているだけだと思っていた。本当は、どれもが偽らざる己の想いでもあったのだ。その行き場所を、中島はもう永遠に失ってしまったけれど。
 腕の中にいるのは、限りなく彼女に近い存在であっても決して彼女そのものではない。たとえ受け入れられなかったとしても、伝えておけばよかったのだ。だが、今更いくら後悔しても遅かった。本当の彼女は、もう――。
「……そんなことないです。遅くなんて、全然ないんです」
「……いい。慰めはいらん」
 だから聞きたくなかったのに。それでも中島の言葉に従う気がないのか、腕の中で司書は身を捩って無理やりその顔を上げた。そうして視線がぶつかる。訴えるような目が、中島の言葉をもう一度否定する。
「慰めなんかじゃありません。……先生は、わたしを『本の中のわたし』だと思ってるでしょう? 違うんです。わたしは正真正銘、本物のわたしなんです」
「馬鹿を言うな。そんなはずが……」
 司書はなおも首を振り、それから微笑んだ。
「だって、先生たちが書いてくれたこの本は、有魂書になってるんですよ」
 ――有魂書。魂の宿る書。自分たちもまた、そこから呼び起こされてもう一度現世に立たされた存在だ。多少の混濁こそあったものの、前世の――本物の人間として生きていた頃の記憶を、確かに携えて。
「……まさか……」
「そのまさかです」
 嘘だろう。信じられない。そもそも彼女は作家ですらないのに。そんな中島の迷いを払拭するように、司書は頷いて言葉を続ける。
「魂って言っても、たとえば先生たちの文学に懸ける想いだとか、そういう綺麗なものじゃなくて。なんだかもう未練とか執念とかそんな感じの……要するに成仏できてなかったみたいなんです、わたし。まあ、だからこそ今、こんな風にしていられるわけなんですけどね」
 台詞の重さにそぐわない、彼女らしい緊張感のなさが、ざわついていた心を不思議なくらい落ち着かせた。懐かしいそれが、何故だかどうしようもなく心地よかった。もう一人の自分と毎日のように交わされていた、他愛もない会話のときと変わらない空気。それでもやはり、語られる言葉の中身は奇跡だとしか思えない。
 魂だけの存在になっても、ずっと図書館を見守っていた。だから自分が去った後の出来事も知っている。もちろん、中島が何をしていたのかも、どれだけそれに苦心していたのかも。本当はいつだって中島の傍らにいて、そうして全てを見ていたのだと彼女は言った。
「……見てるだけで何もできないのは、正直すごくつらかったです。でも、先生はちゃんとわたしのことを書いてくれました。物語の中に、わたしの器を作ってくれました」
 だから、魂の居場所ができた。
 だから、こうしてまた会うことができた。
 彼女の言葉を、中島はもう疑わなかった。
 あれほど躍起になって探し続けていた彼女の欠片。あまりに近すぎるところにあって、見つけることができなかったそれ。“奴”の想いと、その裏側に確かにあったもの。こんなにも単純なことだったのかと、全てが繋がった今では思う。振り返ればひどく遠回りをしてきた。もしも初めから、己の想いと向き合っていたなら。もう一人の自分を口実に目を背けることを捨て、こんな風に彼女を真っ直ぐ見つめていたなら。そうしていたなら、もっと早くに気付けていたのかもしれない。
 ただ。遅すぎたとは、もう言わない。
「先生。……いいえ、敦さん」
 どちらからともなく身体を離すと、大きな瞳に満ちた情愛を惜しげもなく注がれる。
 やわらかな手で中島の頬を包み込み、司書は静かに息を吸い込んだ。
「わたしを書いてくれて、わたしを蘇らせてくれて、本当にありがとうございます。わたしもあなたが好きです。あなたも、彼も、一人だけじゃなくて。二人の敦さんが、大好きです」
 それこそ、都合のいい夢物語のような声音で。
 けれど、彼女がそう言ってくれるのを、心のどこかで待ち続けていたのだ。
「なまえ」
 名前を呼んで、もう一度彼女を抱きしめて、口づけを交わして思い知る。
 ――俺は、ずっとこうしたかったのだと。

「……敦さん。そろそろ……」
 本の中であることを忘れるほどに、長い長い抱擁のあと。
 ともすれば永遠に浸っていられそうなくらい、穏やかで満ち足りたひと時だった。だが、彼女にも自分にも、最早ここに留まるべき理由はない。
「……ああ。俺はどうすればいい」
「わたしをこのまま、新しい司書さんの所へ連れて行ってください」
「……それで、お前は戻って来るんだな」
 僅かに目を伏せて、なまえは頷いた。
「……本当は、許されないことなのかもしれません。どうしてお前だけがって、黄泉の国から恨まれてもしょうがないんだと思います」
 その憂いを否定はしない。それが罪だというのなら、共に背負うまでのことだ。彼女を再びこの世界へ連れてきたのは、他でもない二人の中島なのだから。
「……怖いか?」
「ちょっとだけ。でも、敦さんがいてくれるから大丈夫です」
 ――だから、今度はわたしが彼を迎えに行きますね。
 再び顔を上げた彼女の瞳に、迷いはなかった。

「行くぞ。……離すなよ」
「はい!」
 もう二度と、彼女をどこへも行かせはしない。彼女の何をも奪わせはしない。この身が朽ちるその時まで、何があろうと守り抜いてみせる。
 重ねた手のひらを固く結んで、中島はそう誓った。
 ――彼女に。そして、今はまだ眠りの中にある、己の半身に。

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